4月22日(木) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・大ホールで「M&Oplaysプロデュース『白昼夢』」を観る。

広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・大ホールで「M&Oplaysプロデュース『白昼夢』」を観る。


作・演出:赤堀雅秋

美術:田中敏恵

照明:杉本公亮

音響:田上篤志

衣裳:坂東智代

ヘアメイク:大和田一美

舞台監督:高橋大輔

出演:三宅弘城、吉岡里帆、荒川良々、赤堀雅秋、風間杜夫


演劇には種類がいろいろあるらしく、ミュージカル、アングラ、小劇団、新派、商業演劇など、ぱっと思いついた言葉を並べたが、どれがどれだかあまりわかっておらず、括る言葉も正しいのか定かではない。その中で一度も観た経験がないと言えるのは商業演劇というもので、今日の演劇がはたしてそれかわからないが、ちょっと値段がする舞台を観に行った。


休憩なしの2時間に満たない舞台は、夏、秋、冬、春という季節に合わせた4場の構成となっていて、複線を引いて後々に回収したり、序盤から我慢するようにエネルギーを溜めて後半に思い切り爆発させるような構造と異なり、良く言えば突っ込ませない描き方で、各場それぞれに瞬間的な面白さを描いている。回りくどさや難解さは除かれていて、もう少し説明的な台詞を入れて各場面を連関させたり、比喩や象徴としての演出を含めて戯曲に勿体ぶった文学性を持たせたい、などと少し自分は思ってしまうが、出来事だけを演出して、その背景は語らずに想像させるだけにとどまっている。だからこそ長くない時間に物語の起伏がはめ込まれていて、自分の基準からするとやや淡白であまりにも整然とした舞台構造に思えてしまうが、それくらいだからこそ気軽に楽しめる演劇となっているのだろう。


ただし人物の描き方はとても面白く、特に荒川さん演じる高橋薫と風間さん演じる高橋清は第一場から癖になる良さがあった。マイクとスピーカーを効果的に使った演出は声が安定して通り、マイクの調子によって音声にムラが出ることもなく、シャウトがおもしろいように響いていた。引きこもりの息子と親父という関係図は互いに遠慮するようでそれがなく、1場から怒鳴り散らす親父の偏屈っぷりは、序盤からクライマックスが来るのかと思うような客への引き込みが強く、さすが役者らしい実力として臭みのある声が届くと思っていると、荒川さんの見事な引きこもり具合が光っていた。このあたりの戯曲と演出は本当に上手で、やけに賢さが表立つヒステリーっぷりはナマケモノの味わいがあり、性的なトピックへのジョークは静けさに大声がこだまする場内で笑い声をたてないように我慢する自分がいた。


この舞台を見終わったあとは戯曲の構造にやや味気なさを持っていたはずが、あらためて感想を書くのに思い返していると、とても面白い舞台だったと気づかされる。もちろん各場で強引な話の展開や演出が突出して、効果がいくぶん空回りしている場面もあったり、リアリズムからは離れる劇的出来事の頻発によってすこし無理があると思われる箇所もないことはなかったが、人物の造形と台詞の面白さ、そして演出としての怒号と引きこもり父子の駄目っぷりが非常に愛らしく描かれていて、演技と演出という単純な表現を喜んでいたのだと振り返ってしまう。


性と暴力に対してわりと突っ込む場面もあるかわりに、舞台上の出来事は軽々しく放ったらかしにするので、頭を使わずに物語をたどっていける。細かい人物の性格の変化や感情の推移、はたまた関係性の含みなどは掘り下げる必要もなく、このようにこの家族と関係者は時間経過をしていたのだと観るべきで、引きこもりだった荒川良々がどのような過程を踏んで外の世界へ引っ越すのか、一切考える必要はなく、兄である高橋治の妻や会社との関係や、ヘルパーらしき石井美咲との不倫関係がどのように始まって終わりを告げたのか、このあたりも一片たりとも考察する必要はない。ただそうなった、それが肝心であって、舞台上で行われる不自然な演劇をままに楽しむべき内容となっており、そうさせてくれる可愛い役者や、厄介な男達が登場している。


男の本音を言うならば、近い席で綺麗な吉岡さんを観られなかったのは残念でしかたないが、演技の質を言うなら、今の女の子らしいリズムよりも、やはり荒川さんと風間さん父子のつぼを突いてくる罵声を遠目から観られたほうが良かっただろう。ふてぶてしいくせにどことなく可愛くてやるせないこの親子は、実にばかげているから愛らしい。ゴキブリのくだりや、胸を見せてくれと金を取り出す場面など茶番らしいくだらなさがあるものの、軽薄ながら賢しさがあり、弱々しい関係だからこその純朴さが同情をひいてくる。そしてこの演劇作品は、なによりも男達の間がうまい。


休憩なしの2時間足らずで終わったので、もう少し観たいと思う気持ちは、間違いなく支払った金額を時間計算で勘定したからだろう。しかし市民劇場でも休憩を入れての2時間劇もあれば、1時間30分くらいで終わった栗原小巻さんの一人舞台もあった。役者の質や作品の違いはあれど、金額と時間だけの計算だけならば、今日の舞台はそう悪くはない。


結果として、商業演劇はいかなるものかと考えれば、そもそも今日の作品がその言葉にあてはまるのかわからず、楽しかったからいいやと思えたのがすべてだろう。枠組みよりも舞台で描かれる内容が大切で、やはりもうすこし近くで吉岡さんを観たかったというのが偽りのない本音だろう。

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