4月1日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで五所平之助監督の「マダムと女房」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで五所平之助監督の「マダムと女房」を観る。


1931年(昭和6年) 松竹(蒲田) 56分 白黒 16mm


監督:五所平之助

原作・脚色:北村小松

撮影:水谷至広、星野斉、山田吉男

美術:脇田世根一

出演:渡辺篤、田中絹代、市村美津子、伊達里子、横尾泥海男、吉谷久雄、月田一郎、日守新一、小林十九二、関時男


戦争の影が落とされる前の古い映画を観たいと思っていたら、今月は「日本映画史探訪 1930年代の秀作」と題した特集をするらしく、4月は90年前の作品から始まった。


昭和6年という制作年が嘘でないように、西洋と日本の文化が融合した大正ロマンの雰囲気は紛れもなく残っている。若やかな田中絹代さんの着物姿は初々しくあるも借り物ではなく、髷姿もしゃんとして、画質の荒いモノクロだが白粉よりも肌の白さが鮮明に感じられるようだ。


物語はなんてことはない。劇作家の夫が家で仕事をしようとすると、周囲の音が気を散らつかせて、はかどらない姿を描いているだけだ。上映時間も一時間に届かず、劇的な物語の展開は無いに等しい。あるのはこの当時の人が喜んでいたであろうコメディ劇で、渡辺篤さんが目をぐりぐり動かし、口元も左右にひねって曲げる。口髭のある風貌は目鼻がきりっとしているので、画質の古さのせいかもしれないがサルバドール・ダリのようにも見えないことはない。おそらく髪型も関係しているのだろう。とはいえ、動きはチャップリンの影響も感じさせられる。自分はそれらの映画をわずかしか知らないが、音声を持ちはするもののこの映画はアクションで訴えかける効果が強く、まだまだトーキーに慣れない新鮮な調子がある。


猫の鳴き声、子供の泣き声、妻の小言などによって夜なべは邪魔され、次の日になれば隣の家のジャズ音楽が耳障りとなり、文句を言いに訪れれば、クレージーキャッツにつながるコミカルなビッグバンドの音楽に無理矢理誘われ、創作意欲を掻きたてられて家に戻り、一部始終を窓から覗けていた妻は、嫉妬心を持って駄々をこねる。このあたりが今とはまったく異なる江戸時代から続く男女関係の甘さだろう。


そもそも言葉遣いが異なり、劇を基本としたカメラワークがあるので、人間以外を映すカットはほぼ存在しない。どんどん発展していく映画表現の構造の複雑さがなく、トーキー映画黎明期として直接な演技力がおもしろい。


お隣さんのジャズバンドの一件に仕事は捗り、乳母車を押して親子四人歩き、「私の青空」を歌って映画は終わる。ただそれだけの映画でも、完全に廃れた日本文化の雰囲気は考古学的な興味もさることながら、生きた日本人の昔が宿っており、文学でも芸術でも社会の歴史でも、その当時のすべてを証明する実写でもって心を打ってくる。

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