3月4日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで小津安二郎監督の「東京の宿」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで小津安二郎監督の「東京の宿」を観る。


1935年(昭和10年) 松竹(蒲田) 80分 無声サウンド版 16mm


監督:小津安二郎

脚本:池田忠雄、荒田正男

原作:ウィンザアト・モネ

撮影・編集:茂原英朗

美術:浜田辰雄

作曲:伊藤宣二

録音:土橋晴夫

演奏:松竹蒲田楽団

配光:中島利光

衣装:斎藤紅

出演:坂本武、岡田嘉子、突貫小僧、末松孝行、小島和子、飯田蝶子、笠智衆


昨日観た映画の2年後に作られた作品ではあるが、無声となっており、16mmの画面も合わさってもはや火星ぐらい異なる世界になっている。風を受けるような録音状態と短調らしき降下するメロディーがやけにエレジーを盛り上げており、観衆を飽きさせることのない物語展開は声がなくても眠気を感じさせない。


野原を歩くシーンが前半に何度もあり、その背景にはこの時代にこれほどの工業があったのかと疑うほど太い円柱型の工場が写っていて、昔の千住らしき煙突から煙もあがっている。さらに別場面の遠い景色には大型のクレーンの姿もあり、栄養失調かと思うほど背部の肋骨が浮いた子供も登場して、文無し、宿無しの途方にくれた父子が路頭に迷っていると、人物とロケーションの食い違いに世紀末らしき先行きの不透明を感じてしまう。


ただ作品そのものは暗さよりも家族と他人の結びつきを感じる情愛に焦点があたり、世知辛さよりも、渡る世間に鬼はなしということわざの事例となっている。しかつめらしさよりも心安い人と人の触れ合いは、「男はつらいよ」の寅さん以前の系譜があり、江戸の下町から脈々と続く落語の人物らしい気風の良さがある。貧乏の時は落ち込んでいるが、職を紹介してもらって安定すると一度に息を吹き返し、易々と調子は上がってくる。


そんな人物を坂本武さんが好演しており、男の子二人も愛らしい息子としてやんちゃに振る舞っている。そんな父子に都合よく合いそうな母子が登場して、昨日の映画とは性格が異なるものの、豊かな母性を持った役柄として岡田嘉子さんがいたいけな一人娘の手を引いて、困った状況でも感情を押し殺した姿で演じている。


この時代となると昔を再現する必要はなく、その当時が稀なほど嘘偽りのない本物のセットとなっており、電話にしても蚊帳にしても年代物で、食事代三十銭や畳の宿屋の風情にしても著しい情感を持っている。


それでも映画の文法はすでに完成されていると思えるほど編集の基本があり、優れたショットの威力は今の映画にないほど人を惹き付ける。野原に立つ、膝を曲げて座る、子供に微笑む、などなど、着物を着ているだけでどんな姿も絵になる岡田嘉子さんがとにかく綺麗で、おかっぱ頭に大きな浴衣を着る娘の姿も愛らしくて非常に可愛い。裸かのびきったランニング姿の二人の男の子も人懐っこく元気があり、坂本武さんの演技もとても肌合いが良い。


音楽に彩られた画面の文字で観る台詞劇は、口の動きや動作で内容は大まかにつかめるだけでなく、音声がないからこそ演技は真率にシーンを語っていた。いくつかある特に良かった場面は、草っ原に座って小さな兄が父ちゃんを慰めるために、ない杯に見えない酒を注ぎ、景気よくどんどん飲ませるシークエンスで、貧困の中での親子の向き合ったままごとは本当に微笑ましい。そして岡田さんが娘の病のために白粉をつける仕事につき、たまたま坂本さんと対面する姿は特に目を奪われる。押し黙っていた感情がみるみるうちに表情を崩し、泣き伏してしまうと、ちゃぶ台の足が手前右側に一緒におさまるアングルとなり、あまりに要素が増えてしまった現今の映画と異なる文字通り心を打つシーンとなっている。


まだまだこの時代の映画をスクリーンで観たいが、明日からは昭和30年代の作品が上映されるので、大正浪漫が残る空気をもうすこしだけ触れていたいと思わせるほど、後ろ髪を引かれる良い映画だった。

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