3月3日(水) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで清水宏監督の「泣き濡れた春の女よ」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで清水宏監督の「泣き濡れた春の女よ」を観る。


1933年(昭和8年) 松竹(蒲田) 96分 白黒 35mm


監督:清水宏

原作:本間俊

脚本:陶山密

撮影:佐々木太郎

出演:岡田嘉子、大日方伝、千早晶子、大山健二、村瀬幸子、市村美津子、小倉繁


約90年前の映画だからといって、甘くみないこともない。ギリシャ神話だけでなく、世界のどの地域の古い工芸品だって昔がいかに優れていたか知れるのに、なぜか映画に関しては音声もない黎明期だからと高を括る。数百年前の文学や美術を好んで感嘆しているのに、百年も経っていない最近にどうしてそのような態度がとれるのか。


おそらく画面や音声に観たり聴いたりするにくさがあると小さい頃からの印象を持ち続けているからだろう。しかしそれらが今の画面にはない叙情感を与えている。鮮明なヴィジョンをテレビは追求し続けるようにジャパネットたかたに限らず電気屋で新しい製品は販売されているが、虚構を打ち出すには明瞭さがあればいいわけではない。文法が正しいから名文になるわけではなく、写実が至上の美になるわけではない。結局作り出された物の存在感がすべてであって、正しさは時につまらなさに陥るだろう。


今日の作品は手仕事の持つ繊巧な技によって映画が作られていた。手塚治虫さんの漫画が立体的ではないからといって訴える力が弱いわけではなく、むしろあの平面性に泣き、叫び、喜ぶ姿は宿り、どの漫画家にも得られないほど人間が造形されている。そのように、前半のフィルムは強風にさらされているように今まで観たことないほど乱れ泡立ち、録音も時に声が小さく、バックミュージックのようにざらざらした風のような音は続くのだが、人物と空気は今の映画よりも気高く生きている。演技はさすがに歌舞伎のようなゆったりした表情や動作の様式美が残っており、躍動感のある日常の動きよりも作られた芸風による嗜みのような雰囲気はあるが、とにかく演劇が優れている。無声映画の名残として動作や画面から内容を伝える表現の強さが第一にあり、枠からはみ出す自由自在や緩急は乏しくても、やはり巧みな腕前として各カットは間違いなく撮られ、彫金されている。カメラワークよりも基本としてのカメラアングルの正確さがあり、自然風景は北海道の雪の中を移動する馬と橇の列をロングショットで撮り、雪山を背景に人物をあまり近づかずに海と映したりと、固定カメラの美しさが連続している。


途中から演劇の舞台に移植してもうまく作動しそうな展開になるが、カメラは常に遠近と明暗に意識は保たれており、余計な音楽は一つも入らないので、今の映画作品からすると無駄とも思えるほどのんびりした場面が焦ることなく静かに差し込まれていて、エンディングばかり気にすることなく、瞬間瞬間としての映画の実に良い味わいを思い出させてくれる編集となっている。


それでいて脚本は筋が乱れずにあり、四人の男女と一人の男と娘を主軸としてうまく連関させていて、カメラの画面もその時々の表現をわかりやすく映しているので、なぜこの画面となっているのか意味をわからせてくれる。もちろん無駄な細工ではなく、やたらではない創意工夫としての撮影になっており、その狙いがひどい外れ方をすることなくどれも納得させる質となっている。


そしてなんといっても映画は役者が顔であるから、岡田嘉子さんが期待に違わぬ夢を観客に見せてくれる。子役も含めて誰一人まずい役者はいない中で、完璧な造形の横顔を何度も明暗に晒し、くどさや小賢しさのない悠揚とした演技が映画の浪漫を曇らせることなく輝かせていた。今日の何を一番楽しみにしていたかと言うと、たった一度だけ小津安二郎監督の無声映画で目にした岡田嘉子だった。これだけの人物はもう二度とこの世に登場しないと思えるほど、昔の日本は傑出した人物を生む土壌があったのだろう。いくら人口が増えて技術は進歩しても、その時々の時代は二度と還ってくることはない。


さすがに昔の映画だからといって観ない選択をすることはなくなった。むしろ古い作品だからこそ今に得るものが多いと、明日の岡田嘉子さんも楽しみでしかたないほど素晴らしいに尽きる映画作品だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る