2月23日(火) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでデニズ・トルトゥム、ジャン・エスキナジ監督の「アナトリア・トリップ」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでデニズ・トルトゥム、ジャン・エスキナジ監督の「アナトリア・トリップ」を観る。


2018年 トルコ 114分 白黒 Blu-ray 日本語字幕・英語字幕


監督:デニズ・トルトゥム、ジャン・エスキナジ


フィクションのロードムービーと異なり、ドキュメンタリー作品としてのそれは必ず退屈が隠れている。かすかにスモーキーなモノクロ画面はビール瓶とタバコが良く似合い、青春の一幕としてレールからわずかに外れた人達だけが得られる印象と共にその点も同時に映している。


例えば自分なら、ヒップホップとサーフィンがこのような映像を手繰りよせた人生の一幕としてあり、モノクロならば都内の鬱屈したクラブの臭さと物憂さで、カラーならば「エンドレスサマーII」に憧れて移動したサーフトリップの開放的な彩りを持っているだろう。ただどちらにも共通しているのは、とりとめのない友達との会話ややりとりの楽しさと同時に、いつまでもそれは続かない未来への不安と、子犬のようにじゃれ合う感覚が失われていく固さと、細かい人間関係の中での味気なさだった。


連日のドキュメンタリー映画に比べれば、人を理想的な旅に駆り立てたくなる誘惑が強く、白黒による若さと放埒が羨ましくさせるだろう。しかし夢と思惑は必ずしも描かれる通りになるとは限らず、アナトリアという固有名詞が様々な歴史と文化を馥郁たる香りで漂わせるが、即興演奏だけで歌のない彼らの音楽は理想郷のような人々のつながりよりも、むしろ現実としての意見と反応を現地からいただくことになる。


歌がなければ、多くの人々から見向きされてもすぐに飽きられてしまう。サイケデリックな情動を与えるギターサウンドや、アンダーグラウンドのヒップホップにサンプリングされそうなドラムの音色は一部の好事家の耳を強く惹いても、大多数の人々には理解されない。そんな違和感に対して地域の人々は、子供が踊っていても気にしない彼らのスタンスがピースだ、などの感想を持ち、歴史ある町で演奏するならばその土地におもねった歌なども盛り込む必要があると説く。


実際に彼らの演奏風景はひどく独りよがりで、観客を向いての一体化よりも仲間内の輪から音楽を発生させている。垂れ流しのリズムとうねりの音楽は大衆的な同調をもたらすことはなく、異質のミュージックの目的がどこにあるのかと考えてしまう。


それでも音楽は効果をもたらしているので、風や光の変化同様にその場所でしか発生しないストリームとしての音楽が生まれ続け、やはり薬物の効能による原始的感覚に近づいた世界として隔絶された位相にあり、そこにあるのだが、大体の人には理解できない不思議で耳障りな物として存在することになる。


別に大義を持たずとも、ただ旅行してその土地で音楽をすることは非常に意味がある。それは車に乗って海に走らせ、適当に波に乗って下手に動くのとほぼ同義だ。自然だろうと人だろうと動いて主張すれば関心を持つ人が現れ、互いに気づきが交流するものだ。


人生の一時しか持てない極めて大切な感情の動きは、やや荒削りな編集と画面によって相違なく現れている。彼らは音楽を演奏していない時は、エルドアンを代表としたトルコの政治家だけでなく、イスラム教などのトピックに諧謔を入れて弁じ合う。はたから見ればだらだら生きているように見えるかもしれない彼らだが、カウンターカルチャーが生んだ音楽の系譜らしく、鵜呑みにする人々に比べてより公平な視点で持って国を観察していることが会話から聞き取れる。


それでも、社会の枠組みからずれて生きる稀な時間の豊かさは命一杯に光り、誰しも憧憬を覚えずにはいられない作品となっている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る