12月22日(火) 広島市中区上八丁堀にあるギャラリーGで「沖村義春 作品展 『2020』未来への推敲」を観る。

広島市中区上八丁堀にあるギャラリーGで「沖村義春 作品展 『2020』未来への推敲」を観る。


家の近所ではないが、夜からの展示とのことなのでギャラリーGの「沖村義春 作品展 『2020』未来への推敲」を観に行った。


今日は底冷えするほどではないので、手袋をしない手も信号待ちにポケットに突っ込むくらいで痛みはない。


ギャラリーに近づくと外からも円形の光の列が見えて、樹木にデコレーションされた光がガラスに反射して二重の世界が観えるようだ。


実際眼鏡が曇るのは困ったもので、マスクをしていれば視界がぼやけてしまい、だからといって外すと乱視が形態をぶれさせて正確な輪郭をつかむことができない。入り口と脇の口の二カ所で換気されており、人が多く集まる時間でもなかったのでわずかにマスクの位置をずらして目はしっかり観られるようにする。


円で囲む作品はいくぶん小さい椅子それぞれに蝋燭の火が灯り、水晶らしい透明や色のついた細い棒が林立している。暗がりの中の灯りだけでも様々な印象を浮かばせる作品で、近づいて屈んでみたり、真上から覗いてみたり、離れて全体を観たり、着目する点は距離と場所によって変わってくる。


入り口付近と階段、それと二階の壁には小さな作品も展示されており、細い線が無数に絡んで球体を作っている。目は慣れても暗さは形象を遠くさせるようで、木目がうっすらみえる中に版画のような深みのある線が細く走り、前に迫るのではなく、奥へも吸い込むような質感がある。


最近は何かしら話しかけたい自分がいるので、在廊していた沖村さんに訊いてみると、二本の線で構成されている小さい作品の生まれるいきさつを、実感を含めて教えてもらう。そこには人生の暗黒ともいえる辛い時期があったらしく、話を聞いているだけでその感慨の断片は伝わってきて、どうしてその作品がこの世に存在したかという不可解ながら意味のある物語に心のでがかりを得るようで、一本として心臓に繋がらない線はない動脈と静脈や、メビウスの帯のような二本あるようで表裏一体となる意味をつかんでしまい、作品を観る目は当然変化した。


椅子と蝋燭にも様々な意図があるらしく、今は夜も光が氾濫している時代だから、暗がりの中で一人考える時間も大切だと言っていた。たしかに、ひろしまドリミネーションのように家族や恋人、友人らと思い出を共有する光も意味あることだが、記憶を作るよりも自己から引き出す一本の光も生きるうえで欠かせない灯りだろう。


大きくない椅子にもそれぞれ人の存在を見てしまう。解釈はいろいろあり、クリスマスのようなイルミネーションではないが、遠くから観ればシャンデリアやバラ窓のような灯りともなる。


作品展の名は“未来”への推敲とある。日頃文章を書いて推敲とまではいかないが、間違いを修正する日々だとしても、自分にとってその言葉は楽しくもきつい、何より重要な過程だと定義されている。


もらった和蝋燭の灯りがやはり体験として生きてきた。今日の蝋燭は芯が細く、火も大きくないが、暗闇に一点の世界を与える光の意味は多くあった。壁を見れば影がうつる、その時間と意味こそ、困難な時代に自分を確かに観て踏ん張る、後ろ向きでない一時になるだろう。

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