11月27日(金) 広島市中区中町にある醸し料理店「醸 はせべ」で飲んで食べる。

広島市中区中町にある醸し料理店「醸 はせべ」で飲んで食べる。


「醸 はせべ」さんで飲みましょう、ということで、羊を縁にテーブルを囲んだ。カウンターに並んで大将とも話せればよかったが、満席となるとそうもいかないので、初めて座る席で料理をあてに飲み交わした。


ビールに寺田本家の香取の常温をあてて乾杯し、サトイモを食べる。運ばれる前の柚の香りの大きさに比べると、麹を敷いた器の中に星を散らした惑星らしいたたずまいとなっており、土が生み出した植物という地に足のついた味となっている。


食べるのは好きだが、食に対してのこだわりを持っているわけではなく、気づけば自然とその世界に少しずつ足を踏みいれているような今年一年になっている。この道で行こう、そんな意気込みで小説に接した20代とは違う。


マハタと蕪の汁もサトイモにつながるようだ。粗がうまく削がれた旬の味よりも、やはり素材の持ち味がまっすぐに舌も鼻も突いてくる。椀から香る白い身の単純な優しさだけでない香りと、ロシアの昔話に向くような丸い根の食感に、大きく濁さず活かすための繊細な手が凝んでいる。


もちろんその職の人には知識も経験も及ばず、常にチーズの端を間違ってかじる鼠のような見解となっているが、それでも趣味が一本に高ずれば近づいて会話はできるのだろう。共通となる言葉を持てば、似た世界で物を交わすことができる。


長々と味わえる水イカに醤油をつい繰り返しつぎ込んでしまう。無数に条が走っているから口にした時の食感は艶めかしいほどほどける。むこうから藁で燻るていた寒鰆の味の乗りに、おろされたポン酢は緑が細かく苦みも広げてくれる。


いかに限定した生活にいたのかと毎週実感する。好事家として色々な土俵に足を触れるばかりの日々となっているが、そこで感じるのは常に専門家としての土壌の深さで、積み重ね耕してきた年月と脇道にそれない集中力が誰にも宿っている。


熟成豆腐の春菊の白和えも余計な飾りはもちろんなく、鮮度の落ちた舌には素直な味わいが遠く感じてしまうほどだ。鰭がちょっと兎のような白甘鯛の唐揚げも、ふくよかに引き出すだけでない魚としての影を持っていて、雑と異なる味の作りに大切な視点が伺える。


広島に来てから、音楽、劇、映画、美術、食に顔を出すと、その分野で知り合う人達は本当に良く知っていると驚いてしまう。


締めのごはんはたっぷり魚に蓋をされていて、緑が綺麗に走り、混ぜられた木の子と身肉のおいしさときたら豪勢でたまらない。冷蔵庫に歩く噂に聞いた蟹と大根のスープの旨味の凝縮も脳髄まで悲鳴をあげるほどの魅力となっている。さすが大将の味だ。この深さはそうそう体験できない。


今夜もほろ酔いといかずに白影泉、竹鶴、山陰東郷、五人娘と進み、会計時には渦巻くように数字が飛び交って、まるで市場の子守歌のようにうとうとしてしまった。


飾ることばかりの自身の個性はこうやって本質を見出していくのだろうか。自信ともいえる頼りは人と接することで削られ、定まらない形が定まっていくらしい。


有名なミュージシャンはデビッド・ボウイそのものになりたいと言っていたが、自分も根本はマルセル・プルーストになりたいのだ。それが一本に絞りきらないばらついた動きになっているが、そのようにあれこれ手を出すのも一個の存在としての道で、わりとそんな人も少ないものだ。一つに偏らない俯瞰した世界への視点こそ、我が世界と常に憧れ満たされる長編小説の透徹した観察の世の中で、真似がいつか真似でなくなればいいと思う。


飾るよりもうまく押し出す料理に惹かれ、大きな先達の話を聞き、少しは薫陶されただろうか。そう早く効果は出ないだろうが、今はこのような生活の中で気ままに楽しもうと、細かさがあってこそ大きな存在が成り立つという、出会いの多い今年をつとに振り返ってしまうおいしい時間だった。

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