11月22日(日) 広島市中区立町にあるひろしんギャラリーで「大庭孝文 日本画展」を観る。

広島市中区立町にあるひろしんギャラリーで「大庭孝文 日本画展」を観る。


数ヶ月前に「ラピスギャラリー」で観た大庭孝文さんがひろしんギャラリーで個展をすると聞いていたので、足を運んだ。


初めて訪れたこのギャラリーはさすが大手企業のビルの中にあるので、小箱のギャラリーとは異なる空間の広さがあり、今回の作品を窮屈にさせることなく展示していた。


ここ最近というより、今年始めたギャラリー巡りの中でもっとも大きな作品の展示となっていて、小さくない作品の風格は広島市現代美術館に飾られるべき、と想像するほどの存在感があった。


「ラピスギャラリー」でも和紙を透かした大きな作品はあったが、ここで展示されている作品はどれもただ大きいだけでなく、細かく、複雑な面を含んでいて、目が慣れるまでに時間を要した。部屋に入った瞬間の印象はマーク・ロスコの作品群が展示されているような広さがあり、ちょうど他に来場者のいない時間だったので、自分一人で空間を独り占めしたまま遠近をあちこち移動して鑑賞できる自由があった。ギャラリー巡りを趣味にするならば、自分のようなシステム化する性格は多少の義務感がどうしてもつきまとい、足を運んだ先で自ら拵えたルールに従って鑑賞することもあるが、ここでの時間は、街を代表する美術館で喜びのまま観るのと同じ、欲求に動かされての目の動きとなった。


いくつものレイヤーで構成されているような印象を受ける作品は、様々な肌合いを持っており、アブストラクトらしい心象のようでもあるが、近づいてみると画面に元々の絵が残っていたかのような古い日本のイラストも混ざっている。砂のようにざらつく面もあれば、やや滑らかなところもあり、金か銀で貼られてメタリックに輝く部分もあれば、窪んでいたり盛りあがっているところもある。テクスチャがミックスされるように色々な画材が組み合わさっているようでも、離れて鑑賞すると平面性が浮き上がってそれぞれは一体化するものの、細かい肌合いを残しつつ細かい形象やシルエットがやはり重なり合っているような不思議な印象を受ける。それは純粋に壁画のような存在感としてあり、記憶の積み重ねのように、時に重きを置いた記録としても感じられるようだ。


他にもそれほど多くの色を使わずに構成された作品もあり、それは「ラピスギャラリー」で観た作品につながる単純化への過程としての側面もあるようだ。棚田と海の流れの融合を線に観ながら地表を感じる作品もあれば、樹木のシルエットが明確に残り遠景と前景に交差よりもすれ違いを感じる作品もあり、赤の浸食と境界線が強烈に心を打つ作品もある。一本の線で形態を浮かばせる作品もあれば、額に納まって異なった印象を樹として映すような作品もある。


質問する時間があったので大庭孝文さんに尋ねてみると、キャンバスから予想もしない技法で木製パネルに和紙が張られていて、下地として絵の具が塗り固められていたり、岩絵具で盛りあがらせたり削ったりと、種々の差し引きによって意図する質感が表現されているとのことだ。


実に見事な展示となっており、これだけの迫力と品格を持った作品はなかなかないだろうと思うものの、最近ギャラリー巡りを始めたばかりの自分の経験の少なさだろう、もしかしたら大庭孝文さんクラスの芸術家はひしめいているのかもしれない。


それでも自分には素直な感銘と喜びを受ける個展となっており、あくまでこれは”日本画展”とあるところに、現在進行する美術の奥深さと面白さが一気に広がるようだった。ぜひ多くの人に注目してもらいたい芸術家だが、むしろ自分の気づくのが単に遅かったのだろう。素晴らしい作品を見せてもらった。

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