音楽、映画、美術、舞台、食事、文学、観光についての体験感想文集
11月11日(水) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでセルゲイ・ボンダルチュク監督の「戦争と平和 第三部 1812年」を観る。
11月11日(水) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでセルゲイ・ボンダルチュク監督の「戦争と平和 第三部 1812年」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでセルゲイ・ボンダルチュク監督の「戦争と平和 第三部 1812年」を観る。
1967年(復元1988年) ソ連 81分 カラー Blu-ray 日本語字幕
監督:セルゲイ・ボンダルチュク
脚本:セルゲイ・ボンダルチュク、ワシリー・ソロヴィヨフ
原作:レフ・トルストイ
製作総指揮:ニコライ・イワーノフ
音楽:ヴャチェスラフ・オフチンニコフ
撮影:アナトリー・ペトリツキー、アレクサンドル・シェレンコフ、イォランダ・チェン
編集:タチアナ・リハチョワ
出演:セルゲイ・ボンダルチュク、リュドミラ・サベリエワ、ヴャチェスラフ・チホノフ、イリーナ・スコブツェワ、アントニーナ・シュラーノワ、アナスタシア・ヴェルチンスカヤ、ヴィクトル・スタニツィン、キーラ・イワーノワ=ゴロフコ、イリーナ・グバーノワ、アナトリー・クトーロフ、ボリス・スミルノフ、ワシリー・ラノヴォイ、オレグ・エフモレフ、ボリス・ザハーワ、ギウリ・チョホネリーゼ、ラジスラフ・ストルジェリチク、アンジェリーナ・ステパノワ、オレグ・タバコフ、セルゲイ・エルミロフ、ミハイル・フラブロフ、ボリス・モルチャノフ
火力がまるで違う。黒沢明監督の「影武者」でも馬と兵が走るシークエンスはあるが、ボンダルチュク監督の戦闘シーンはそれを凌駕する驚愕の質量となっている。今月観た他の作品でも烽火をただの無駄遣いにさせない演出はあったが、今日の作品は縦横に流れる物質の、それこそ混沌そのままの意思の奔流として渦巻き、ストームともストリームともいえる神の思考の創世を感じる沸騰した大鍋での命の煮込みをかき混ぜる様相を呈している。
冒頭は個人の死に焦点をあてて、チャイコフスキーの表現するロシアらしいしめやかな場面もあるのだが、戦闘が始まってしまえばショスタコーヴィチが生み出したソ連の激流が息切れせずに突っ走る。それが戦争だと原文のナレーションが入り、誰もがこんなことはやっていられないと思うものの、可視できない存在の命令として殺し合いを続けなければならないと語られれば、無数の無惨な死骸がロングショットでその意味を問いかける。なぜ人殺しが目的となり、その数が褒賞となるのか、その地獄の現実が圧倒的な画面で迫ってくる。
原作の世界は武者震いする実像で持って意匠を保ち、色の違う煙や大きさの異なる爆炎がねぎらいの手をかけるベラスケスの絵画のような大陸のロングショットで寸断なく生み出される。雲と煙が同一になり、高度な戦いらしく風向きが千々に雲海を流す。その景観と情感は凄まじいものがあり、天に向かうドリーショットは地上の戦乱を壮観に映せば、レールに移動するパンショットは三次元を越える生物の疾走を駒送りする。するとドミノ倒しに大砲が炸裂して、「蜘蛛の巣城」の矢のように三十二分音符のプレストよりも五線譜を越えて上下に火と煙に爆音が断続する。激烈なシーンは絶頂のさらに上を攻め苛むようなサディスティックな快感さえ覚えさせる。
ワーグナーの「ニーベルングの指環」よりも、4楽章形式の交響曲らしい作品構成となっており、二部が夢見がちな緩徐楽章ならば、この第三部は烽火で突っ走る狂騒のスケルツォになるか。上映時間が短いと思えるほどの熱量は、第四部への期待を様々に思い悩ませる。
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