10月25日(日) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで小津安二郎監督の「東京の女」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで小津安二郎監督の「東京の女」を観る。


1933年(昭和8年) 松竹キネマ(蒲田) 46分 白黒 35mm


監督:小津安二郎

脚色:野田高梧・池田忠雄

撮影:茂原英朗

美術:金須孝

編集:石川和雄

出演:岡田嘉子、江川宇礼雄、田中絹代、奈良真養、笠智衆、大山健二


活動弁士:澤登翠

演奏:カラード・モノトーン・デュオ(Gt.湯浅ジュウイチ、Fl.鈴木真紀子)


活弁上映は一度しか経験したことがなく、その時はこの場所で観たバスター・キートンだっただろうか、子供達のワークショップの発表会も兼ねていた。


澤登翠さんの今日の活弁映画はその時の印象と異なる内容となっており、生演奏でフルートとギターがタイトルロールからその効果を大きく発揮していて、仮に映像が流れなかったとしても楽器奏者の腕の高さだけで鑑賞会が成り立つほどだった。


映画は小津安二郎さんらしい構図を持ち、複雑でない筋の内容は少し物語の裏を持ちつつラストに別の可能性も示唆されるが、まわりくどく考える必要のないものとなっている。田中絹代さんにややもどかしく感じる役が与えられ、各登場人物は硬直的な面を持ちつつも、岡田嘉子さんには優しさと強さを持った慈愛の女性像があり、江川宇礼雄さんは日本男児らしからぬ顔立ちに大正ロマンが引き継がれているようで、役者の個性を抜かしても演技の水準の高さには嘘偽りのない技術ではなく、人物全体から生まれる教養の高さと才能が正面から演じられていて、すべてが本物の質の高さを持っていた。


そしてなにより役者が違うのは澤登翠さんで、映画が始まる前の口上からして観衆を引き込む機能が働いており、楽器と作品の紹介に続く上映開始までの立ち振る舞いには立派な様式が表れていた。その場にいればタイムスリップさせるほどの昭和の良き薫りが一度に放散して、映画が始まればもはや落語の名人と思わせるほどの余裕ある語り口は、お見事という他なく、配られていた季刊誌「活狂」の批評に書かれていた形容を借りるように、弁士の姿が劇中に消されて登場人物と一体化する現象がたやすく起きていた。


上映中も注視に値する岡田嘉子さんの一挙手一投足に魅了されていたが、上映後の澤登翠さんの語る岡田嘉子さんもドラマになり得る人間として描かれており、特別な人だということが愛の溢れる語り口に刻み込まれていた。その形容する言葉の選び方の旨さに加えて、話を締めるまでの内容は一幕と言って良い品格があり、活動弁士という知らない人にとっては馴染みのない芸の存在感を大きく伝えていた。


三日前に観た映画に登場していた人物は、活動弁士としてこれからという時にトーキー映画が流行り出して職を失ったと話していたが、サイレント映画の魅力を伝える稀有な役割としてその存在はこれからも残り続けるだろう。「活狂」には東京3ヶ所の上映会場が載せられていて、活弁上映を日常に接することができるとは羨ましい限りだ。

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