9月21日(月) 広島市中区本川町にあるラピスギャラリーで「大庭孝文展 符号化された景色」を観る。

広島市中区本川町にあるラピスギャラリーで「大庭孝文展 符号化された景色」を観る。


広島ギャラリーマップにも載っていたこの場所はどこにあるのかわからず、最近SNSでその存在を知ったので足を運んでみた。そもそも、昨日は珍しくインド製のウールのベストとウズベキスタン製の綿のシャツを着た自分なりの正装だったので、セルフポートレートを持たず、また写されることもなるべく避けていたのだが、上手な人に撮られるとどのような面が表れるのか興味もあり、「SHAMROCK」で展示中の桑原雷太さんにお願いできないかと足を運んだ際に、店でこの個展のポストカードを見つけた。あいにく、桑原さんは不在だったので自分の写真に縁はなかったが、そんな外れで最終日に流れ着いた。


ビルの中にあることを知り、階段をあがって入った。作品は一見すると地図のような形象を持っているが、そのまま受け取っていいのかと疑いながら、作品の肌合いを調べるように間近に観た。ちょうど大庭孝文さんが別の方に作品について話をされていて、盗み聞きする形で内容をすこし知った。画材は最近も知った岩絵具にアクリル絵具、それに銀箔、膠、和紙が使われており、昨日観た山岡菜々子さんの作品のようなラメに光るざらついた質感は少なく、単色で薄く塗っているのだろうか、平面の中に微細なそれぞれの特徴が調和していた。


話をさらに聞いていると、どこの場所と定まったシルエットではなく、固有名詞としての景色を持たない風景をもとに、情報の真偽と伝達という現代社会においてよりさらけ出された面をコンセプトに作りあげたらしく、この輪郭が表れるまでに人伝に情報が変貌していく行程が重ねられるようで、これは盗み聞きで確かではないが、そもそも現象に対して受けてそのものが正しく情報を得て、正確に発信しているかという問題も含めつつ、定義そのものに疑いを持ってそれぞれが感受して解釈する偶発的な面白さも内包しているらしい。


などといえば、自分の文章も的を得た情報を伝えておらず、それが難しさであって簡単などと言い訳もできようが、ここにある作品は情報への懐疑というコンセプトを持ちつつ、具象表現としての基本である視覚性も大切にしているらしく、構図やデザインとしての面にも半分は比重を置いているらしい。それらのバランスを保ちつつ、作品をその時々の感覚で作り重ねていくらしく、頭の中に明確な映像をもって具現化するよりも、創作過程に芸術家らしい感覚の選択が存在するようだ。


まるで何かを象徴しているような作品だが、質感の淡さとシルエットの境界が際立っており、デザインとしての質を持ちながら無意識から何か意味を得させるような媒介力を持っている。その中でも大きく展示されている和紙の作品は規模が数段増していて、和紙に銀箔を貼りそれぞれの模様を映し出しているのだが、その存在感は非常に優れたものがある。


11月には「ひろしんギャラリー」で日本画展が行われるらしく、より肉体の動きを持った筆跡の作品を観ることができるそうだ。


ギャラリーを出てふと思ったのは「HUNTER×HUNTER」の真贋についての話で、興味深く聞いた話をアイデアに部屋から抜け出すことだ。あちらこちら動き回って自分の望む事をいっこうにしていないが、文章を書くことは言ってしまえばすべてが材料となり、ここで技法を知ったことがある時に比喩として使われることもある。


そんな言い訳を自分に繰り返して、不確かな思考のもとにギャラリー巡りの楽しさを頭に悩ませる。

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