9月9日(水) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで新藤兼人監督の「裸の十九才」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで新藤兼人監督の「裸の十九才」を観る。
1970年(昭和45年) 近代映画協会 120分 白黒 無声 35mm
監督:新藤兼人
脚本:関功、松田昭三
撮影:黒田清己
照明:岡本健一
音楽:林光
録音:大橋鉄矢
出演:乙羽信子、原田大二郎、草野大悟、佐藤慶、渡辺文雄、殿山泰司、河原崎長一郎、観世栄夫、小松方正、戸浦六宏、太地喜和子
集団疎開は昔から聞いたことのある話でも、集団就職は聞き覚えのあるようでわずかも実情を知ったことはなかった。
長回しは多くなく、モンタージュが素早いこの映画は順々に展開される脚本ではなく、結末を途中で見せるとわき道に逸れて、主人公以外の生い立ちにも時間を割いてスポットを当てている。漫画に見られるような手法は構成に多少違和感を覚えてしまい、早く事件の終わりに向かいたい気持ちを起こされてしまうが、はぐらかすわけではないその途中にこの作品の見所が多かった。
あえて不幸の連続に焦点を合わせてつなげていく構成は、愚痴たらしい人が物事の良い面から顔を背けて臭いものにわざわざ頭を突っ込んで毒気を散らすような印象を受けてしまうが、関連のなさそうな生い立ちにこの物語の発端があるように見受けられる。ただ直結して動機に結びつくよりも、計画性のまるでない浮動する若者の生き方は目の前にある欲求と不満に飛びついてばかりで、ラストシーン直前の母親への責めも、おおよそ何でも生みの親に責任を押しつけるコンプレックスの浮薄な癇癪のようにも思える。
戦争が生み出したベビーブームの一現象らしく、一時に生まれた大量の命が元気よくもがきだす相貌が描かれていて、学生運動も差し込まれる物語は、走り、殴り、裸で絡み合うという、カウンターカルチャーや性の解放など今までの男女の規範を破壊する社会の風潮が躍動している。すこし前の映画作品に比べると顔立ちのよい男女の俳優より見た目の整っていない登場人物が多く、伝統と陋習の生み出した決然とした男女の役割は容貌にも品は保たれていたが、その境界は風潮のただれによって腐敗し、質を落としているようにも見えてしまう。
他の新藤監督に比べるとそれほど好ましいと思えなかったものの、ワンカットごとの質はさすがに高く、音羽さんに絞った回想も一つの大きな物語として存在感はあり、ロケ地や端役のキャスティングも悪くないものがあった。
ただ、この時代特有の顔立ちと無軌道が好みでなかったのだろう。日活映画のような荒々しさはどうも苦手としてしまう。
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