8月23日(日) 広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「大岡昇平の『焚火』」を読む。

広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「大岡昇平の『焚火』」を読む。


煙が印象的なこの小説家の短編作品は約10ページあり、改行少なく画布にびっしり字を埋め込むように物語が構成されている。冒頭から事件が提示されると、一人称の形で経緯が語られていく。その運びに目立った個性はなく、文体も自然な形ですんなりと連ねられていき、それほど考えさせられることなく内容を飲み込むことができる。その中で紅葉を主とした自然描写が多く見られて、細かい植物の種類や葉の色合いなどに知識がなければ映像を浮かべることは難しい。そのあたりに淡々とした供述のやや異常な心理を見つけられることはできるのだろうが、自分にはわからず、暮秋の盛りつい色々は後半に向かうあたりでようやく舞台背景として一気に想像がついた。


最近の自分としては、このような自然描写よりも、ややこしいくらいの心理描写のほうを好む性質にあるので、空襲でがれきに足をとられて動けなくなった母と一緒に死ぬことのできなかった過去を引きずり、愛人の子供を我執によって心中させようとする物語の描き方は、その材料が最近観た黒木和雄監督の「父と暮せば」に登場する女性と似た業ではあるが、やや味気なく思えてしまった。とはいえ、後半のところどころに可哀想と同情するよりも、やはり精神に不具合が生じていると思わせる言葉づかいがあり、いかに過去に辛い出来事があって情状酌量するところがあるとはいえ、この物語の結びで無情な判決で断罪されると、物足りないと思えた人物にむしろ同情が浮かぶほど事件を起こした被疑者に対しての裁きの鋭さが身に染みる。いくら述べようと、それはただの言い訳でしかない、そんな感想が浮かんでくる。あの時死んでいればよかった、それは「父と暮せば」にも語られる台詞で、親を目の前に失う辛さがいかなものかと、描写の好みを抜きにしてこの物語の女性からも強く感じては、それが親類だけでなく、親しい知人や知らない他人からも同じ業を背負わされるのだろうと、どこかで知った他人の経験から考えてしまう。


“ それからのことはあまり話したくありません。三文小説にあるような筋書です。私はなんでもしました。ラーメン屋の出前とか洗濯屋の手伝い、喫茶店のウェイトレスなどなど。それから横田の或る進駐軍の家のメイドになり、パーティーにホステスにかり出されました。そこへ牛肉を納めていた外交員の長谷川と結婚しました。昭和三十五年、同じアパートにいた学生と仲好くなり、長谷川と別れてしばらく同棲しました。安保闘争の騒がしいころで、学生といつしよに、カンパの箱をぶら下げて、街頭に立つたこともあります。やがてその学生が検挙されている間に、その友達のほかの学生と仲好くなり、彼がアルバイトにバーテンをしているバーのホステスになりました。そのうち前の学生が出所して来て、店でけんかしたので、そのバーもやめ、通つて来ていた中年のセールスマンと同棲しました。しかしその男の奥さんという人が田舎から出て来たので、二十万円の手切れ金を貰つて別れました。”


こんな調子の陳述が特に劇的な語り口の変化なく続いていくが。


“ いたいけな子供にこんなことをいうのはむごいことでした。でも、ほんとはもしこの時美恵子がどうしても私の子になるのがいやだ、おうちへ帰るといつたら、私はここで死ぬのはやめて、いつしよに東京へ帰ろう、と、たき木を集めているうちに思つたのでした。

 美恵子はしかしそれきり何もいわずに、泣き続けました。「おお、おお」と大きな声を上げて泣くだけでした。

「須坂さんがいいところへ連れて行つてあげるから、心配しないでね」

 そういつて私は美恵子を抱きしめました。

「泣きなさい、泣きなさい。女の子には、泣くよりほかには、どうしようもないことがあるのよ」

 私も泣きました。空襲の時、腰から下が石の下に埋つた母のそばで泣いていたように、泣いたのです。「おお、おお」とふた声泣いただけでやめましたけど。”


という箇所で疑心を抱かせる軽々しい言葉が登場すると、この女性の語っていることは真実かもしれないが、母親の死という過去の重荷よりも、裏切った男性への復讐心のほうが勝っているのではないかという、虫を扱うような冷酷な態度が覗けるようだ。


結局殺人は犯さなかったが、その理由に人間の意思よりも神様の決定があると述べる文章があり、そこには一理あるかもしれないが、そんな言葉は供述の際になんら理由にはならず、見えない神様に操られているのならば罪として裁かれるのも神様の決め事となり、諦観としての捨て台詞のように述べたとするならば、それは自分自身への逃げの言い訳に他ならないのだろう。


心中をはかり、それを止めた動きは描かれるが、その意思はどこにあるのだろうか。運命の中の人間行動として片付けるにしては、あまりに人間らしい情操の中での揺れと動きがあり、嘘も本当も見えない不気味な存在の空洞が、真実など一体どこにあるのかと犯罪につきものの多角的視点で薄暗くぼやけるものの、背景の紅葉だけは艶やかに色づいてとれない作品だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る