8月2日(日) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・1F市民ギャラリーで「ダンス de ピース」を観る。

広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ・1F市民ギャラリーで「ダンス de ピース」を観る。


アーサー・ビナードさんを初めて知ったのは数年前のRCCラジオの「おひるーな」で、その時はオスプレイについて散々こきおろしていて、怒り沸騰した言葉の汚さに辟易したのを覚えている。それからうるさい人だとラジオで聞くたびに思っていたが、不思議なことに何度もラジオで接していると嫌だと思う気持ちが反転してしまい、初めて聞いた回が最も辛辣だっただけで、あとは鋭い思考の中に優しさとユーモアのある博識な人だと楽しんで聞けるようになっていた。


今では広島におけるドナルド・キーンさんのように思えるほどで、ラジオでも紙芝居について言及されていたので、それがこのような形で接することができるというので機会を逃さずに足を運んだ。


紙芝居の場面に合わせて一人一人が身体表現をするという形式が映像で流れる前に、展示されていた絵と言葉を眺めて、慣れないせいもあるだろうが、文字と形態の一体感は味わいきれず、どうしても視線を動かすことで隙間ができるようだった。


それが予備知識となることはわかっていたのだが、実際に映像を前にすると朗読と音楽の中で視線は固定されて、背景の絵で場面を思い出しながら、各踊り手に集中することができた。


扇子と鍬を持った男性による古典芸能のテンポと動作が登場すると、難解な舞が続くのかと思ってしまったが、それからは各人の素養の断片化のように、クラシックバレエらしい動きや、演劇らしい動作、コンテンポラリーダンスのような表現など、自分の経験の中でそれぞれが照らし合わされるようで、優劣を抜きにした各人の個性の連関に見所があった。真紅のドレスの舞う姿や、黒に染め抜かれた体で鷲掴みしそうな手や視線など、当然衣装を含めた身体の隅々がこだわり抜かれていて、甘くみる気など毛頭なかったが、展示で観ていたような隙間は埋め尽くされ、音声も含めた物語世界の肉厚が絵画に接するような鑑賞者の努力をぬぐい去った。長くない上映時間の中で微動だにすることなく一貫とした集中が保たれていたのは、一人一人が異なるというのが大きな理由なのだろう。


知っている人も登場すると聞いていたが、どうも顔は映らず、おそらくでしか判断できない背中と踊りに観るばかりだった。今日はたまたまカンボジアで買ってきてもらった白線だけで描かれた仏像のTシャツを着て来たが、瞑想の基本姿勢らしく尻をつけてミクロな世界を観想する姿は、その指向が土台にあるような落ち着きを感じた。もし人違いならば、自分の想像の世界による勘違いのみだ。


アーサー・ビナードさんの絵本から喚起された肉体表現は、こんな時だからこそダンスを観たい自分の欲を少し満たしてくれた。そしてあれほどオスプレイを悪辣に喋り散らしていた人物の心根の一端を垣間見ることのできた映像芝居だった。

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