7月26日(日) 広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「川端康成の『掌の小説三篇』」を読む。

広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「川端康成の『掌の小説三篇』」を読む。


この人がなぜノーベル賞をとったのか、「伊豆の踊子」を読んでもその理由は解せなかったが、「名人」は記憶に残る作品だった。


小品三篇が並んだこの短編を読んで、やや自分の文体に似ていると思った。自然主義小説らしい描写を土台に置いた硬質さは、少なくない小説を読んで自然に決まった個人の写し出しだとしても、言葉遣いではなく、句読点を含めた全体の感じがそう思わせる。遅筆、無口、生真面目という印象の作家だから、自分もそうかと言えば、違って厚かましいだろう。


第一の「望遠鏡と電話」は、両足のないフランス人の望遠鏡と、そこからの視点が描かれていて、やや茶目っ気のある悪戯で世をほんのわずかに改変させるやり口が描かれていて、動きのない生活から覗ける世界に片輪のコンプレックスや嫉妬、増長があり、知った気になって世直した気分になるが、結果は正しいと思い込んでいる方へ行かないことが表されている。ショートフィルムを観る短さは、ところどころ話の連関につまづく場所もあったが、無駄なく早く小世界に物語がつめこまれている。


“女は白粉なく白い額に、不似合なほのぼのしい血の色が頬に出て、病み上りにちがひない。男が唇を動かすにつれて、女は肩から揺れてゐる。女の髪がぱらりと背に落ちた。それで目を開いたまま、男の顔を見上げてゐる。彼女は病んでから今日初めて髪を洗つたらしく、無造作に束ねて刺してゐた毛筋立が抜け落ちたのだらう。”なんかは見本通りの描写らしく、“「丈夫な足で歩き廻る人々よりも、私は却て沢山の裸の人生を見た。──私のフランス語の花やかな弟子達と、病院の人々と、私には二つの人生があつた。弟子達はいまだに私を外交官だと思つてゐる。だから私は、病院の人生とより多く一緒に喜び、泣いた。そこの善と悪と──しかし、望遠鏡に拡大されて、神のやうに知り、神のやうに寂しかつた。君達の助けを借りて、私は神の審判を下すのだ。第二幕に取りかからう。」”このように主題が明らかにされるところに、生真面目な作風が出ているようだ。


第二の「挿話」は、村上龍さんの「トパーズ」を一瞬想起したが、あれほど執拗に物語は展開されるわけではなく、物を購入する女性の視点が母と娘に分かれて描かれている。ただそれだけならば、物価高騰する前の物に対する価値観の違いだけになるが、戦後の感慨が最後に置かれることで、誰もが描けそうな細やかな物語に大きな重石を置いて、時を絡めた深い情感を浮かびあがらせている。そこには戦争を体験した作者の実感と戦火の残酷さがノンフィクションの威力を持っている。


“「お母さん、不断のはうちに持つてるでせう。」

「ああ、だけどあれはねえ……」と、ちよつと芳子を見ただけで、

「十年、いやもつと、十五年になるかな、使ひ古して昔風でね。それに芳子、これは誰かに譲つて上げたつて喜ばれますよ。

「さうね。譲つて上げるのならいいわね。」

「誰だつて、喜ばない人はありませんよ。」

 芳子は笑つたが、母はその誰を目当に傘を見立ててゐるのだらう。身近にそんな人はゐない。ゐるのなら誰かにとは言ふまい。”

 こんな罪のないありがちなやり取りのあとの思い直しが後悔になるにしても、とても情感のある会話文だ。


第三の「さざん花」は、小説というよりも、エッセイになるだろう。戦後の出産についての考察が述べられていて、ベビーブームに生まれた両親を持つ自分としては、親のルーツを教えられるような興味深い内容が述べられていた。ただ、この中に死を予期した達観があるようで、この静かにうち見守る視点は自分の好みにあり、このあたりにも同じとはいわないが、似た性質を持った作家なのだろうと感じさせる。むしろ、文章を書く自分はこのような大家の末端の寄せ集めだから、似ていて当然なのだろう。誰かが言っていた、思想というのはあるが、それはそれほど多くなく、誰かのそれを借りて自分の物にしたと思いこんでいるのであって、個性的なものは世間に少ないらしい。となると、自分自身と思いこんでいる個性も、しょせん本から借りてきた寄せ集めなのだろう。ただし、嘘も言い続ければ本物になるのは板垣恵介さんの漫画にも描かれているので、通していかなければならないのだろう。


“戦争から覚めると生の夕暮が迫つてゐた。そんなはずはないと思ふものの、敗戦の悲しみは心身の衰へを伴つてゐた。自分達の生きてゐた国と時とはほろんだやうであつた。寂莫の孤独に追ひ帰された私は隣組のお産を他界から生の明りと眺めるかの感じもあつた。”さすが文豪らしい身に深く染みる文章となっている。


小品三篇でも見るべきところが多くある。大家の切れ端でも捨てるところはなく、これらには、真髄にたどり着ける質がどうしたって備わるのだろう。

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