7月25日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで高畑勲監督の「火垂るの墓」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで高畑勲監督の「火垂るの墓」を観る。


1988年(昭和63年) 新潮社 88分 カラー 35mm


監督・脚本:高畑勲

原作:野坂昭如

音楽:間宮芳生

撮影:小山信夫

編集:瀬山武司

出演:辰巳努、白石綾乃、志乃原良子、山口朱美


小さい頃にテレビでこの作品が放送されていて、暗い駅での映像を記憶に残しながらそのまま眠ってしまい、終わりまで知らずに今まで放置されていた。


いつかは観たいと思いながら、ようやくこの歳になって数十年ぶりに続きを確かめられる機会を得られた。


映画のオープニングから涙の溢れてくるのは「この世界の片隅に」と同じようだ。それは音楽の効果とナレーションの中で、アニメーションだけがもつ自然風景の美しさに感涙するような類で、こんな時に歳をとったと思い知らされる。


結末はさすがに知っているので、どのように兄妹が死んでいくのか追ってしまった。そのせいか、節子の一つ一つのアクションに最初から胸がつまり、清太の生きるべく泥棒までする姿に強い同情を覚えた。小さい頃に眠ってしまった理由がいまさらわかるように、劇的にストーリーが進行するよりも日常風景の重ねられていく単調さがあり、それだからこそ、気がついたら死の間際までいってしまったという悲惨な光景が受け入れ難く感じた。節子の存在の愛らしさがあまりに強いので、やるせない気持ちはこのうえなく、本当に悲しくなるばかりだ。


カットと編集を気にするまでもなく、アニメーションもいまさらながら映画作品だと知った。劇場で「この世界の片隅に」を観た以来だろうか、カメラアングルや音楽の挿入など、基本の形式は実写と変わらなかった。


あの炎のような死後の追憶を意味するオレンジ色が苦手だった。しかし今はその色の訴える情感がわかるようで、兄妹のやりとり一つ一つに鮮明となる生の証はスローモーションのようにみてとれる。今初めて全編を観通して、この歳に知って本当に良かったと思われるように、当然ながら涙はだらだらこぼれてしまった。そのせいか、もう二度と観たくないと思われるほど、兄妹の存在が辛かった。

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