7月2日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでタデウシュ・フミェレフスキ監督の「月曜日が嫌い」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでタデウシュ・フミェレフスキ監督の「月曜日が嫌い」を観る。


1971年 ポーランド語 103分 カラー 日本語字幕 デジタル


監督:タデウシュ・フミェレフスキ


なんとも気の抜けたシーンの連続で、今にはないのどかな映画への愛が感じられる作品だった。ただ上映後に紹介を読んで共産主義政権下で製作されたと知り、作品への接し方はまるで変わってしまった。


小さい頃に観ていたテレビのコントのような親しんだ馬鹿馬鹿しさがあり、わざとらしさがわかるからこそ可笑しいのだろう。似顔絵を描いてもらう際に、特徴を活かして模造されるような愛着があり、最初からユーモアにベクトルの向いた職人気質の完成度がある。だからこそ、共産主義という言葉が加わると、まるでピエロに対するような人間性の淵を探る視点を持ってしまう。それは自分にとって、常にショスタコーヴィチという偉大な作曲家の証言と音楽がスターリン時代のソ連を理解する助けとなるようで、皮肉と諧謔が結びつく飄々とした表現が抵抗の一種に思えるからだろう。


月曜日に働く数多の人々が歯車として動かすリズムと躍動は、とにかくおもしろおかしい。細かいやりとりの紡ぎ合いの回数が多く、どの人物が主役で、どの役割がどのようにあるのかと考えることなく、先の読めない展開が進んでいくのを、もどかしくも、楽しく見続けることになった。


ワルシャワ讃歌が作品に通底しており、それがこの作品の原動力として人々を動かしながら、愛すべき我が街として各カットはやはりシンボルらしい摩天楼や旧市街の景色を捉えていく。北のパリとも呼ばれた美しい街は災禍で荒廃したが、この映画の中でモダンな建築が幾つも建っていることは遠望が見回している。復興を示す国力という意味も含まれているかもしれないが、展望されるワルシャワの今と未来を強く感じさせるキャンバスの広さとなっている。


スラブ民族的な愛情表現があってこそ、ここまでのコテコテ映画を作ることができるのだろう。ただ、その背景としての共産主義もやはりスラブ民族が第一に国家として具現化しているのだから、サンドウィッチといえば言葉選びは悪いが、国と民によって挟まれた寸分の狂いもない映画なのだろう。製作過程には、並々でない神経の磨耗があったに違いないが、音楽の気楽さは調子を変えずに楽々としている。

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