6月13日(土) 広島市中区基町にあるショッピングセンター「パセーラ」のイスに座る。

広島市中区基町にあるショッピングセンター「パセーラ」のイスに座る。


自分自身の存在意義を問いかける時は誰にでもあり、珍しいことでもなく、周期的どころか毎日やってくる人もあれば、まったく来ない人もいることだろう。ちょっとした衝突にもならない小突きによって必要のない昔の経験をすくってしまい、はたして自分の規範というのは間違っているのか、それとも正しいのかと迷う事がある。重要なのは自分がどう思うかであって、周りがそうしていないから自分は考えのおかしい者であり、周りに合わせていないから自分は良くない存在として周囲に悪影響を及ぼしていると思うことがある。


そんなのはひどくちっぽけなことでしかなく、二日ある休日の一日目が楽しければ、それが何よりも大切なことだろう。それは太陽が暑いからといって事件を犯してしまったと弁解するのとそう変わりなく、扱い方によっては恐ろしく極悪にもなり、また善ともなる楽天的な瞬間としての感慨だろう。前後左右に見境なく、過去も未来も関係ない今だけに重点を絞るような生き方であって、計画的実行をなんら気にしない反応だけのような想念だろう。


とにかく、雨が降って長靴はすこし不要なこの日は、とても羽目を外している気がしてしまう。一日一善らしい目標を終えてしまえば、今日という一日はいかに料理しても許されるというすこぶる快活な気分で、終わってしまったからいかにしてもかまわないと思いこむほどの後腐れがない。


マーラーのナハトムジークを聴きながら、パセーラ上階のイスに座る。ここは雨と太陽を凌ぐ大変気分のよい場所で、重層的な構造の建築は空を羽が覆い、いつまでも目を楽しませてくれるところだ。病気による暗い時期は閉鎖されていたが、夏に近い温度に合わせて開くことになって、再び通る風を浴びて休ませてくれることだろう。


今日、髪の毛を切っていたら、京都の交響楽団が公演を再開して、観客はマスクをしての鑑賞というニュースが目に飛び込んできた。率直に嬉しかった。


自分の存在を疑うような時には、なによりも芸術が助けとなってくれる。悩みを聞いてくれる人や、価値を見いだしてくれる人もずいぶんと助けになるだろうが、ただ、生きて存在しているすばらしさを髄まで実感する芸術の一瞬間にかなうことはないだろう。ああ、生きていることはすばらしい、それをたやすく味わえるのが芸術なのだ。


多くの土台の積み重なりによって成り立つ贅沢な芸術という構造は変えられず、人間そのものが無数の細胞から成り立つ高度な生物同様に、芸術も繊細な生態系の上部に位置しているから、少しのほころびに大きな打撃を受けるのは旅行同様の脆さだろうか。


生きることは何か。人それぞれ違うが、愚痴や言訳が平然と厚顔で氾濫する私生活の中で、生きている意味を唯一感じられて、死ぬことが最も恐るべきことだと思える芸術こそ、生きてすがる拠り所だと自分を慰めてくれる。そんな酔いに任せられるほど、今日の湿気た風は肌に心地良い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る