5月17日(日) 広島市中区国泰寺町にある公園「国泰寺公園」のベンチに座る。
広島市中区国泰寺町にある公園「国泰寺公園」のベンチに座る。
誰かの言葉を誰かが言っていた、真面目に生きる人間は……、忘れてしまった。とにかく悩みがつきものらしい。
あまり悩んだことはなく心から苦しんだこともない。そんな性格が誰かにとっての磁石となることもあるらしいが、鼻持ちならない人間でいようと闘牛士を憧れてそうなろうと思うまでもなく、家の中の自分は外に漏らしてはまずいような人間だ。それが外に出ると見事に皮を接ぐから信じられない。
それでも今はちょっとだけ苦悩を感じている。生活に追われたり逼迫するような切実な問題ではなく、あくまで充足の上で成り立つ閑暇の稚戯だ。
国泰寺公園のベンチに座ろうとしたら、文庫本が2冊置いてあった。1冊は昔読んだことのある小澤征爾さんの指揮者として身を立てるまでの本で、曇りない性格と幼いからこそ許される文体に驚きながら、強い刺激を受けたのを覚えている。もう1冊は読んだことがない。
こんな時は、前兆と世界の用意をそっくりそのまま盗むべきだろう。落とし物は届けるべきだ。しかしここにあるのは、誰かの為でもある。立っている物は親でも使え……、違った気もするが、苦悩振っている今の自分にはたしてこの本がどのような意味を成すのか。
小さい頃親によく言われていたのが「落ちている物をなんでも拾ってこない」。それは今も変わらず、それが一時期商売となっていたこともあるから不思議なものだ。
「なんで、なんで」なんてしつこく質問もしていたそうだ。本当の記憶だろうか。意味がなくても、きっかけはどこに転がっているかわからないから、罪のないことかは自身で計れなくても、都合良く判断する。これが犯罪者の心理だ。
そんなわけで、シューマンの本を読み終えたら、これを読もう。落とした人が悪い、それは一理ある、そして拾って届けないのも、悪いことだ。
活かせば許される、そんな釈明をものにしたい。
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