5月3日(日) 広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「里見弴の『豆衛門の独言』」を読む。

広島市中区十日市町にある自宅で新潮名作選百年の文学から「里見弴の『豆衛門の独言』」を読む。


この人の名前に触れると、必ず「里見八犬伝」という名前が付随する。内容は知らず、関係について調べたこともないが、続いて有島武郎の弟という血縁を思い出す。それから堅い兄に比べて、柔らかい弟という関係図も続いていくが、作品は思い出せない。


この短編作品を読んですぐに「おおっ、泉鏡花のような文体をやっと発見した」という自分を思い出すものの、似ていると決めることがそもそもの間違いで、まったく別なのだろう。戯作風というのか、そもそも井原西鶴を読んだことのない自分で、当時は講談も落語も知らず、歌舞伎も何もわからない古い伝統芸能としてあったから、それらしい語り口調はすべて英語ペラペラぐらいの大きな枠にはまるようで、見分けなどつくはずはなかった。それは今もそう変わらないが、改めて小粋を狙ったような軽口らしい文体に接すると、声に出して読んで味わうのが一番の効果としてあり、抑揚とリズムの聞こえの良さに接しながら、文章の意味することがあとからついてくるようだ。いわば、それらしく声に出して読んで、内容を団子屋に置き忘れるような無駄口の楽しさがある。意味なんてそう意味がない、それらしく聞こえりゃいいんだくらいだろうか。


しかし背景知識が必要となる。江島其磧作の「魂胆色遊懐男」に登場する豆右衛門らしき人物像を知らないと、この時点で何を独言しているか判然しない。


“聖人、君子、高僧、儒者など、総じて木の股からでも生れた風に、四角四面な生涯を過ごされた方々はもとよりのこと、今となつては、万人に一人も御承知の向はあるまいけれど、かく申す某は、ある時代、在る種の版画中に登場させて頂き、聊か名を知られた一寸法師・豆衛門めにござりまする。”という書き出しで、自分はお椀に乗って揺れるあの小さい人を思い浮かべてしまったが、どうも別人らしい。


体言止めの使われる語り口調はそのまま続き、“したが、そこは侏儒(こびと)の一得、いつなんどき、どこからどこへなりと、好き勝手に潜ずり込めるをいゝことに、退屈まぎれの見たり聞いたり、いつの世の有様でも、……えゝえゝ、なんだつてわかつて居りますとも。一時、わかつちやゐるけどなんとやら、つて唄が流行つたことまで、ちやアんと心得でまさア。……なに? 油断も隙もならないつて? そこ〳〵、そこが、豆衛門様の豆衛門たる所以でして。……おッほん。”という客を前にしたような軽快な調子が続くも、“──或る時代以降、絵といはず、文といはず、歌舞音曲に至るまで、淳風美俗に害ありと認められるものに対する御詮議が次第に厳しくなり、──”という文章で江戸時代であろう取締があげられると、明治、戦後の時代を述べたりもするので、歴史の授業で学んでいればわかりそうな時代背景もこの作品理解に必要だと知れる。


“ついこなひだも、ちよつとストリップ・ショウなるものを覗いて来たんだが、御見物のいづれ様方も、くすッとも仰有らない。いとも厳粛な顔つきで、果し目、……果し合ひ最中の目つきだ、その果し目つてやつで、固唾を呑みこみ、ぢいッと見詰めてござらつしやるぢやアねえか。へんに思ふより、そのはうがよつぽど「笑い絵」だつたぜ”なんて言葉は、春らしい陽気が進んで肉体の胎動を感じる今となっては、ついつい気になってしまう箇所だ。


とにかく朗読では内容が一度につかみにくいのは、その語り口調の文体と背景知識の乏しさによるもので、一度でも“豆衛門”の登場する何かしらの媒体に接していれば、この作品の面白さと意味が飲み込めるのだろう。それがわかった風であっても、知らなければわかった感じのままあやふやになってしまう。


品格や芸術性らしい美しさはほとんど感じないが、この便便とした駄弁はつまるところ世相の移り変わりを嘆いているのであって、構成を無視して逸脱する西鶴の談話に、“転合”という言葉の文字や発音へと脱線していくのも、筆が走ってそうなった感はあるものの、それが打算のようにも思えるのは、あまりに粋がった文体のせいだろう。


“「覗き」の「傍観」のと、昔話らしい謙遜、卑下はかなぐり捨てて、一番、大見得をきらうか。そも〳〵「豆衛門精神」とは、啻(ただ)に人生のみならず、森羅万象に現れる天地自然の理を諦観し、具象化しようとの大望、悲願である。と言へば、政治家好みの大言壮語に類しようが、ほんの一分一厘づつでも、日々の前進を希ふほどの者ならば、知らずして、いつからか行はれてゐる日常の茶飯事に過ぎず、別段の作法や秘伝があるわけではない。詰まるところは、わが一生を大切にするか、捨てて顧ないかの違ひできまること。”という文章には、結局真面目な考えがあって、背水の陣で一心不乱に目指すところを選ぶか、それとも保身に走るかという、大まかな人生の二択が語られている。


“当人の口からはちと申上げにくいが、「豆衛門精神」に徹しきるまでの、永い年月かゝる、辛く、楽しい修行が成し遂げられるか否か、によつて生じる結果にほかならないのだ。”というのは、芸術論の一端としてあり、豆衛門の存在を知っていればこそ、この糞真面目といって良い意見のちぐはぐな滑稽さが味わえるのだろうか。


終わりに近くなって“──いつぱしの豆衛門面が簇(むらがり)出し、横行を極める御時世と相成つたが、如上の拙者の発言を、彼等への助鉄砲、フレー〳〵の声援と勘違ひされては傍痛(かたはら)い。こつちに言はせれば、あんなのは、縁も由縁(ゆかり)もねえあかの他人。一方が「好色」で、一方が「助平」だ、なんていつたつてはじまらねえ、おいらの生みの親どもたア、どだい、心がけから、随(したが)つて品位、何も彼も同日の談ぢやアござんせんや。したが、そこを見分ける目のねえ御一同様ゆゑ、ベスト・セラーも尤な話、何事も御時世だし、若いときやア二度ねえんだから、作るはうも、愛用するはうも、せい〴〵ごさかんにおやんなせえまし。”と痛烈に違いを批判しながら、勝手にやれと投げ出すのだから、自己責任という言葉で都合よくまとめてしまう。


知らない人が、知らないことを話しながらも、なんとなくうなずいてしまう作品だ。伊達に語っていながらも、その背景には汗と涙で嗚咽したことのある世間への不条理に対する不満が根付いているので、どうしたって熱っぽくなり、説得するような頑固な調子も見え隠れしている。


兄の作品にも感動したことはあったが、弟のこういった気質も嫌いじゃない。区画したような文体ではなく、泉鏡花と異なるやや軽佻浮薄な調子であっても、決して嫌いになれない。やはりうまいし、味がある。

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