2月8日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで溝口健二監督の「雨月物語」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで溝口健二監督の「雨月物語」を観る。


1953年(昭和28年) 大映(京都) 97分 白黒 35mm


監督:溝口健二

原作:上田秋成

脚本:川口松太郎、依田義賢

作詞:吉井勇

撮影:宮川一夫

出演:森雅之、京マチ子、水戸光子、田中絹代、小沢栄、青山杉作、羅門光三郎、香川良介、上田吉二郎、毛利菊枝、南部彰三


どれだけの感覚を備えていたのだろうかと考えてしまう作品だった。鋭敏極まった構図とカメラワークは「西鶴一代女」でも感じるところはあったが、今日の作品はより一層研ぎ澄まされていて、それは上映時間の短さも関係しているのか、能楽にも感じる無常観と、生がむき出しにされた戦国の荒廃した世相の描きかたに、合掌して消えてしまいたくなるほどだ。雅楽で使用される楽器の音色が現世と隠世をぼやけさせて、夢と現実の境で迷い苦しみ、人間の一生があまりに儚く、悲しさよりも空を感じてしまう。


明暗の効果的な使い方や、フィルムの編集の妙とトリックなどは、まず浮かぶのがタルコフスキー監督で、いかに溝口健二監督が世界に影響を与えたのかと、文字通りの意味をようやく実感することになった。頭の中にどれだけの映像を持ち、それを画面にするための準備と実行力がどのようにあったのか、完璧に近い構成と構図、それを繋げる編集に驚嘆するのみだ。それを実現させる映画関係者も当然なくてはならないもので、森さん、京さん、田中さんら俳優陣の凄腕には人間業ではない憑依力を感じる。


カラー作品だったならば随分と違っていただろう。時代考証をされているであろう衣装やセットは色が抜かれている分だけ立体感があり、この頃は物に生命が宿るのはあたりまえだと思わせる形態の力があった。人も物も簡単に作られず、簡単に壊されるも、しぶとく生きようとする意力が強かっただろう。


3Dとは比較にならない画面から抜け出るような生身の再現力を持った長いカットは健在していて、終盤の描き方も派手さはなく、考え抜かれた抜き身のような冷たさがあり、だからこそ登場人物のもろもろ情感が伝わってくる。動くところは動き、細かいところも手抜かりなく、落ち着くところは落ち着いている、その幅広さとタイミングの絶妙さは常軌を逸している。


たびたび名監督として名のあげられるこの人の作品はこれほどのものかと、期待以上にぞっとさせられて、噂以上の才能に恐れ入るばかりだ。

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