1月13日(月) 広島市中区基町にあるひろしま美術館で「岸田劉生 展 ─写実から、写意へ─」を観る。

広島市中区基町にあるひろしま美術館で「岸田劉生 展 ─写実から、写意へ─」を観る。


Ⅰ、西洋の受容

Ⅰ─1西洋絵画の受容

Ⅰ─2肖像

Ⅰ─3装丁画


Ⅱ、写実から写意へ


会期の最終日に足を運ぶことになったが、この特別展は割に楽しみにしてた。それは、それほど多く観たことはないが、他の日本人画家にはない言うに言われぬ迫力をもった人物画が常に印象を残していたからだ。


この特別展では、結局自分に好意的な印象を残していた要因であるひろしま美術館所蔵の「支那服を着た妹照子像」が最も深みのある作品で、その左に展示されていた郡山市立美術館所蔵の「照子像」との比較が味わい深かった。


左は、服飾を描く色と線がやや雑多で厚さはないが、顔は鮮明と描かれている。青白い皮膚は眉毛も青白く、かげりのある右の表情はやや暗く、大きくは開かれていない目からは気落ち、消沈、陰鬱な弱さが感じられるようで、明るく光のあたる左の顔では目がかっと見開かれていて、備えている性格の陽が負けずに手を伸ばす気概が表れているようだ。その両目を赤く小さな口がきゅっと結んでいる。


右は、青と白で作られた幽霊のような若さは失われていて、頬紅もある生色と成熟が表情に固まっている。やや不細工とも思われがちだが、服飾の細かさが質感と立体感を持たせていて、顔のほうの存在感と存立している。この作品は左とは異なり、西洋のりんごの静物画のように、暗い背景の中で人物像が空気をもって浮かびあがり、表される空間の種類はより虚無と時間を感じさせる。それに表情がなんといっても不気味に綺麗だ。


その2点が自分の持っていた好みの範疇での鑑賞になった。


展示の前半から後半まで観て思うのは、西洋の作品からの習作時点から作風が多種にわたり、38歳という早逝であるも、晩年も中国や日本の影響のうえで表現が色々とあることだ。人物画だけで受けていた印象からすると意外で、どっしりした気骨のある風采の印象とは異なる軽い調子がある。この調子が作品の良し悪しを分断して、良いのは良いが、つまらないのははっきりつまらないと思わせる彩色過多で稚拙な表現の作品もあった。


深みの足りない作品が多いと思われたのは、この画家の器用で不器用な性格にあるのだろう。凄みのある線が少なく、鈍感と思われる点もあるが、それは自分の娘をモチーフに多くの作品を生んだ性情こそが執着と移り気の共存する個性的な特色を作り出しているのだろう。結局この画家は、“童”、という言葉に尽きるのだろう。余白をいじめるように色と形態による情報量の多い掛け軸を残しているのは、西洋の色彩の憧れと好みが残っており、それらはあまり良いとは思えないが、余白を広く残して詩書画一体となった作品には、透徹した目で形態を切り取る西洋の静物画とは異なり、対象を愛でる姿勢が画面に余裕を残し、肩の力が抜けていながら書で品格を保つような洒脱な雰囲気がある。このゆるさこそが、モンゴロイドなアジア人特有の気の抜けたような闊達さで、奔放で豪放な中での繊細な鋭さは、とても粋でありながら詩的な生活感を持っているのだ。


そんな一面も感じられたこの特別展は、作品数は多くも人物画は少なく、むしろ絵本作家を観に来たようではあるが、迷い、挑んだ画家の、変わらない童心をひしひしと観ることのできるものだった。

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