12月21日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで山本嘉次郎監督の「馬」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで山本嘉次郎監督の「馬」を観る。


1941年(昭和16年) 東宝映画(東京)、映画科学研究所 127分 白黒 35mm


監督・脚本:山本嘉次郎

音楽:北村滋章

撮影・唐沢弘光、三村明、鈴木博、伊藤武夫

出演:高峰秀子、藤原鶏太、竹久千恵子、二葉かほる、平田武、細井俊夫、市川せつ子、丸山定夫、沢村貞子、小杉義男、馬野都留子


昨日観た山本監督の「綴方教室」にも当時の汚れや埃がたっぷり滲み、大雨で膝のあたりまで冠水した家々の映像の迫力はあったが、今日の舞台は岩手の農村となり、聞き取れない方言だけでなく囲炉裏を中心とした家族の営みはあまりにも遠い世界にある。ヴィンテージなどではなく、もはや昔話でしか存在しない空想の色合いが濃い民話であって、国が異なるのは国境の有無ではなく、時と場所がちょっと違えばこれほど変わってくる。


前半の闇に埋もれそうな家の中の画面の暗さに、冬の寒さが極限まで積もり、未来などもはや見えない悲哀のなかで藁を編んだり、火を起こしている。少女の高峰さんの眼光はより頑固で力強いものとなって画面に宿り、子供にやたらあたる竹久千恵子さんの険しい表情と態度は、生活の厳しさによって戯画されることなく当たり前に存在するようだ。各役者がすばらしい役を演じている中でも、この二人の存在感はより光彩を放っていた。


これほどスケールの大きい作品を日本で、それも80年近く昔に撮られたことに異様な感動を覚える。馬が登場するからにしても、たった2本しか観たことのないジョン・フォード監督のモニュメント・バレーを思い出させ、その動物がいるからだろうか、見事を越えて日本映画史に残らずにはいないカットがいくつも散見できる。列車に乗る弟を馬で追いかけ、それをロングショットで観る視点は、心の震える疾走感が続く。ただ馬に乗って疾駆するだけ、それだけで自然という神の厳粛な恩恵に胸がつまってしまう。


生きるには過酷な自然環境だからこそ、春と夏の美しさはひとしお輝き、人々の習俗や祭りは土地から自然発生した琴線に触れるありのままの素朴さがある。


高峰さんのいたいけな泣きっぷりに、自然も過酷も経験せずに生まれ育った他人だからこそ都合良く見える良俗があり、豊かな自然の中で多感に生きてこなければ、あんな綺麗に映える涙は決して生まれないだろう。

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