11月30日(土) 広島市南区比治山公園にある広島市現代美術館で「インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史」を観る。
広島市南区比治山公園にある広島市現代美術館で「インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史」を観る。
先月に一度この特別展に足を運んだが、その時は頭の働きが鈍く、何も考えずに観賞できる作品を期待していたが、作品紹介の文章の多さに弱ってしまい、10分も我慢できずに出てしまった。
その印象が強く、今日は体調を整えて向かおうと思うも内心では尻込みしていたらしく、昼に行くつもりも昼寝が過ぎてしまった。そのせいで全部観ることはできず、途中で閉館時間になってしまったが、それだけじっくりできたのだろう。
荒川修作+マドリン・ギンズの作品までしか観ていないが、ここまでで思うことは、作品よりも紹介文にこそ観るべきものがあるのだろう。頭でっかちな印象のあったコンプチュアル・アートは純粋な美としての芸術を感じにくく、以前はそれほど好きになれずにいたが、発想のおもしろさが最近は楽しめるようになった。それと似たように、環境を基本にした理念や概念を抜きには打ち出されない建築構想を、馬鹿馬鹿しいと切り捨てずに目を付けられる姿勢が今はある。
入場してまず目にするウラジミール・タトリンの「第3インターナショナル記念塔」の紹介文で、まずこの特別展の難しさを伺い知ることができる。斜めに傾いた螺旋のバベルの塔のような建築はどうして発案されたのか、美術館や博物館で作品をより味わうのに基礎知識が必要とされるように、当時のソ連の社会情勢や時代の潮流などが何もわからなければ、「ああ、こんなものを建てようとしたのか」で終わってしまいそうになるが、ストラヴィンスキーの「春の祭典」を使用した映像が視覚としてわかりやすく説明して、精緻な模型も雰囲気を伝えてくれる。
隣りにある滝沢眞弓さんの「山の家」でもアインシュタインの相対性理論に影響を受けた建築家との関係が説明されるも、建築に対しての造詣がないのでいまいち内容がつかめない。そんな時は、ゾラの小説にあるように、見識のない世俗の人間達がルーブル美術館で下品におったまげるように、模型を正面から観て、ガスマスクみたいだ、くらいの感想しか浮かんでこない。
川喜田煉七郎さんの作品は山田耕筰さんの影響が解説され、霊楽堂のコンセプトと言ってよいのかわからないが、肉親とも袂をわかって没入するほどの求道を要求される音楽の修道院が立案されている。実際に奏でられる音楽の内容よりも、頭が先に進みすぎて何も生まれないような、いわば口ばっかり動いて体を動かさない人間が思い出されてしまった。
それからも、建築というのはいかに自由に頭を使い、真剣に空想してよいのかを実証するように、並々ならない思想がスケッチに表されている。ブルーノ・タウトの「アルプス建築」はメシアンの音楽のように輝いて、胡散臭いとも思われるユートピアの形が世紀末的な印象さえ持って描かれている。カジミール・マレーヴィチは絵画作品でその名を聞いたことはあるが、シュプレマティスムという本人が到達した芸術形式の言葉で建築が説明されていて、単純な幾何学による形象が平面から空間へと移行するという、学術的な勉学を踏んでこなかった自分には書いていて自分でもわからなくなる内容で解説されていて、模型を観てすぐに納得した。
ヤーコフ・チェルニホフの「建築ファンタジー」の説明には、ロシアアバンギャルドの死との関連性が書かれ、そこには詩人マヤコフスキーの自殺にも言及されていた。こういう内容に意味がわからなくとも親しみを持たせてくれているのが、我が家の家宝である「ショスタコーヴィチの証言」で、この中には神経質な作曲家が最高の褒め言葉を使いながら皮肉を言わずにはいられない態度を示していて、最近も読んでいる「ズボンをはいた雲」の内容がスターリンの時代を浮かばせてくれる。この作品のスライドショーの想像力の豊かさは見もので、8分33秒の中には1万7千枚といわれるスケッチから101枚が選り抜かれていて、赤、青、黄などの原色などが強く発色しており、細密な線で螺旋や幾何学模様などが組み合わされていて、俯瞰図などは抽象絵画のような構図となっていたりと、見飽きることない豊かな想像の建築が楽しめる。
どの作品もきりがないほど興味深い発想が解説されており、ドイツ表現主義、構造主義、合理性と精神性の融合によるモダンとクラシックの融和、人間の創造性を生む真の遊戯、移動し続けることで根源的な生と想像力の回復、貧困や階級差が背景に存在する居住者による自己の設計による簡素な住宅の改編、建築を批判的に検証する5つの要素を持ったニヒリズム、苦し紛れではないが構造と闘争によるコンペの意義、余暇の過ごし方の向上による自発的学習による技能の習得をする複合施設の柱と梁による可変的で同一性のない不確定性による没個性、機雷のような毒々しい形の動く建築、ポストモダンとの関連のある非現実的なアンビルトはシュルレアリスム、正方形を斜めに見てダイヤモンドにしてダイヤモンドを斜めに見て正方形にする3次元と2次元、主題と役割を持った仮面劇、などなど、作品解説が混在して間違いなく間違った言葉の並びと解釈を言葉に移していると誤謬を当然とするような文章ができあがるほどコンセプトが混濁していながら、作品のスケッチを見ると、楳図かずおさんの漫画みたいなどと呆気にとられることもしばしばあった。
前回来た時はすでに疲弊していたので何も観られなかったが、今回は昼寝してきたおかげでどっぷりと一つも現実にならなかった建築構想を楽しむことができた。色と線ではなく、字を味わうと事前にわかっていれば、そうする為の準備ができるものだ。
無茶や無理で止めることのない勝手な発想がいかに大切かと、堅苦しいほどの文章を読みながら頭が柔らかくなる特別展だ。時間があったら残りも観にこようと思う。
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