11月3日(日) 広島市東区東蟹屋町にある広島市東区民文化センター・ホールで「合唱団そら 第28回定期演奏会」を聴く。
広島市東区東蟹屋町にある広島市東区民文化センター・ホールで「合唱団そら 第28回定期演奏会」を聴く。
指揮:難波憲二
ソプラノ:昆野智佳子
バリトン:今田陽次
合唱団そら
そらコンソート
メンデルスゾーン:6つの歌 (op.88)
新年の歌
幸福
羊飼いの歌
森の小鳥
ドイツ国
さすらいの音楽家
三善晃:クレーの絵本 第1集より
選ばれた場所
あやつり人形劇場
階段の上の子供
フォーレ:レクィエム (op.48) 1893年版
クラシック音楽のコンサートには頻繁ではなくても前から行くことはあったが、今のように演劇、落語、踊り、オペラといった舞台を観るようになったのは約2年前からだろうか。まったくの素人の目から、広島市内で活動されている各団体の公演を重ねて観て気づかされた事は多くあるが、その中でも自分にとって重要なのは、身近に存在することの大切さだ。
例えば、アマチュアのコンサートや舞台は観ずに、大物やプロの公演を主に行く人がいる。その気持ちは自分も理解できるが、陶酔的に心を狂わせる体験を得るには高い条件が必要となる場合が多い。公演される場所と、そこにたどり着くまでの時間と価格を考え、広島市内在住の自分の生活環境を踏まえると、やはり難しいものがある。その代わりに映像で我慢すればと思うも、出来る限り生で体感するべきで、その方が限られた時間内で心身に強く刻み込まれる。それに、たまに良い公演を観るよりも、常習的にあらゆる芸術を感じていたい。それも自分の経験の範囲の好みで選ぶばかりでなく、提供される内容でもって枠を広げるように。
そんな自分の欲求を満たしてくれるのが広島市内で活動されているあらゆるジャンルの人々で、昔はアマチュアのオーケストラには行く気がせず、日本人のバレエやオペラは観る気がしないなどの無経験による偏見で凝り固まっていたが、まだ長くはない期間ではあっても広島市内での芸術鑑賞の回数が自分を諭してくれた。最も必要なのは観る者の感性であることを。常に得難い高級レストランの食事を望むよりも、現実を見据えて、個性ある美味しい料理を身近に味わえる店を回るほうが、日々の生活は豊かだろう。感度の良い舌さえ手に入れれば、常に確かな違いを惑わされずに味到できるだろう。
だからフォーレを聴きに来た。合唱団そらの演奏会は初めてだが、定期演奏会の回数と、自分の勘が保証していた。そしてその予想通りに、フォーレのレクィエムの輪郭を少しは知ることができた。
まず受付でもらった歌詞・解説を読んでいると、今回のプログラムで歌われる曲の解説が行き届いていて、合唱団そらのアルトでもある川村晃世さんのメンデルスゾーンと三善晃さんの曲の解説が、古風な文学的格調を持った男性的な文体で説明されており、楽典を必要としない言葉は専門的な音楽学習経験のない自分にもその意味が伝わってきた。またテノールの飯田暁さんによるフォーレの解説は、この作品の生み出された作曲家の背景を滑らかな文体で語り、この曲の持つナイーブで奥深い優しさが表れているようで、とてもわかりやすく感じられた。
メンデルスゾーンは、交響曲や室内楽を聴くたびにベートーヴェンのような人間味のある成長が見られない早熟な完成度に驚くが、アカペラの6つの歌は、そんな印象から離れた解説通りのあまりにシンプルな曲で、作曲家の意外な一面を知ることができた。選ばれている詩はそれぞれ違った趣があり、その内容を音楽は自然と符号させて活かし、「ドイツ国」と「さすらいの音楽家」は規模がいくらか大きく膨らんでいた。
三善晃さんは、パウル・クレーの絵画作品に触発された谷川俊太郎さんの詩に音楽をつけていて、多産である谷川さんの詩を昔読んだ時はその量とひらがなの平易さに重みを感じられずにいたが、音楽と歌われると、昔語りの調子があるにしても、音楽家ではない自分は外国語の歌曲を聴くのとは随分異なる受け方として音よりも言葉を多く感じることになり、より明瞭な情景が浮かび上がった。それから歌詞のひらがなを見ると、昔は谷川さんの詩から何も感じらていなかったことがよくわかった。
フォーレは、解説にあるとおり初演時に近い規模の小さなオーケストラ編成となっているので、この曲の骨組みを見やすいというか、色彩を抑えた素描のようなわかりやすさがあり、以前聴いた時よりもはるかにフォーレらしい弦の旋律が響いていた。以前、知り合いがフォーレのレクィエムの特徴を話しているのを聞いたことがあり、その時は朧げな印象だけしか持てていなかった自分には話をつかめなかったが、この演奏を聴いて、泣けると言っていた意味を汲み取ることができた。それは解説が大きな役割を果たしていて、フォーレの両親の死について記述がなければ、例え先入観だとしても、この作品に通底する個人的な愛で悼んでいるようなニュアンスに意味を持つことはできなかっただろう。そんな音楽のなかで、第6曲のバリトン独唱から第7曲で終わるまでが特に一体感があり、ぎゅっと空間が詰まって法悦に近い感慨を受けることになった。
今日も貴重な音楽体験ができた。新参者がこうして昔から広島市内で活動している人々を知っていくと、自分が知らないだけなのに、世界が新たに用意してくれたような錯覚がある。別の物事に置換すれば当然だと呆れることなのだが、本当に色々な人がいるのだと驚かされる。
とある人が言っていた事を思い出した。倉敷ではあまり演劇を観る機会がないと。上を見ても下を見てもきりがなく、また仕方ないにしても、間違いなくここ広島市内は、日常のなかで芸術に接する機会を得やすいだろう。だからすんなりと、恵まれた環境だと飲み込むことができる。
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