10月21日(月) 広島市中区大手町にある広島県民文化センターで「いわさきちひろ生誕100年 前進座公演『ちひろ──私、絵と結婚するの──』」を観る。

広島市中区大手町にある広島県民文化センターで「いわさきちひろ生誕100年 前進座公演『ちひろ──私、絵と結婚するの──』」を観る。


原案:松元猛

台本:朱海青

演出:鵜山仁

装置:乗峯雅寛

照明:石島奈津子

衣装:原まさみ

効果:川名あき

出演:有田佳代、新村宗二郎、益城宏、西川かずこ、柳生啓介、嵐芳三郎、浜名実貴、黒河内雅子、渡会元之、上滝啓太郎、嵐市太郎、松川悠子


来年のこの時期になるが、広島市民劇場の9・10月例会に前進座の「東海道四谷怪談」が上演されるので、歴史あるこの劇団が気になっていたところ、小さい頃に名前を聞き絵を見たことはあるかもしれないが、まったく知らない岩崎ちひろさんを主人公とした芝居が公演されるというチラシを手に入れ、来年を待たずに前進座の劇を広島で観られることに喜んだ。


初めて観る前進座の芝居は半世紀以上存続することを証明する完成された舞台で、プロの劇団ならば当然の質なのだろうが見慣れていない自分からすると劇空間の水準の高さにそのまま感動してしまい、プロのオーケストラの演奏を前にして、上手な人達だとやたら褒めるような感想が生まれてしまった。


幕が上がってから最初に自分の感覚を大きく移動させたのが回り舞台で、ちひろが新聞社にやって来てから仮宿へ案内される時に、夕陽の照明が赤い黄金色に射される中で雑踏を載せた舞台が回転すると、案内役の新聞社員との移動の光景が面前にありありと現出されて、背景の移動が舞台上でこれほどの効果をもたらすのかと車窓が過ぎていくのと同じ感覚が引き起こされた。


その回り舞台の装置が実に素晴らしく、冒頭の新聞社の一室、画家達の集う膠臭く油絵の具の染みた部屋、すっきりしたちひろの部屋などに転換され、回る度にいつの間に小道具の替えられた広くない部屋は上質な空間が用意されていた。


激しく動き回れないそんな舞台の中で各シーンの人間模様は誠実に描かれていて、嫌気を引き起こす湿っぽさはなく、明るい基調が常に宿っているので、戦後の楽ではない時代であっても終戦によって国の復興へと生命力が向かうように、芽が出て枝葉を伸ばしていく新しい息吹を各登場人物から感じることができる。


個性は明確に区切られていて、そんな人々が大便を漏らした赤ちゃんの世話を一緒にしたり、印刷代と部屋代で悶着がある中で紙芝居の原画の入った金属の箱が軽妙な笑いを生んだりと、大きくない家での一室で人情と親和のある騒々しいやりとりを遠くから眺められるような温かさが何度も生み出されていた。


まるでフィクションのようだが、実在した人の輝かしい人生の再生が一部切り取られたこの舞台で、誰もが芝居になるような経験があるにしても、これほど物語向けの歩みを進んで来るものかと思ってしまう。今とは異なり、激動の時代が多くの人生を劇化させていたのだろう。しかしそれは錯覚でもあり、岩崎ちひろさんの人生に巧みな手を加えたこの芝居の台本と演出こそが大きいのだろう。


この舞台が明るさに貫かれているように観えたのは、時折挟まれる戦時中の暗い過去があり、酒を飲む画家達の集いでそれぞれが自責を持っていると言葉で語られ、後悔があるからこそ必死に先を変えていこうとするのだろう。


数日前に観た成瀬巳喜男監督の映画がちょうど戦後の光景を映していて、この舞台の時代設定を色濃く感じることができた。絵に対する画家たちの言葉のやりとりは専門用語もあり、絵に対す批評も有名な画家が例に出されていた。手回し蓄音機で映画の「トップハット」の音楽が流れてフレッド・アステアのタップダンスが言及されるのもあり、そのままの舞台を当然楽しむことはできるが、ちょっとした雑学があると台本に仕組まれた要素から人物の背景をさらに知ることができるだろう。


初めて観た前進座の舞台ではあるも、鵜山仁さんの演出は今回が初めてらしく、あくまで一面としての劇団の大きさを感じるくらいになるのだろうか。正直期待以上の素晴らしい舞台だったので、来年の時代劇でまるで違う印象を得ることになるのだろう。

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