9月15日(日) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで今村昌平監督の「黒い雨」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで今村昌平監督の「黒い雨」を観る。


1989年(平成元年) 今村プロダクション、林原グループ 123分 白黒 35mm


監督:今村昌平

原作:井伏鱒二

脚本:今村昌平、石堂淑朗

音楽:武満徹

撮影:川又昂

出演:田中好子、北村和夫、市原悦子、小沢昭一、三木のり平、小林昭二


原作となる小説を読んだことはないが、先月に奈良岡朋子さんの朗読を観て内容は知っていたので、観る前から決して軽い内容にはならないだろうと予想された。


モノクロ映像と共に、力強い筆の運びによるタイトルロールが始まる。“雨”の字の黒い墨の散りに、タイトルそのものを観てしまうのは短絡的だが、どうしても結びつけようとしてしまう。


新藤兼人監督の作品でも原爆の惨事を描いたシーンはあったが、この映画はさらにセットと演出が凝っており、黒焦げの死体や四股の欠けて骨の突き出る人間のおぞましさは細部まで行き渡っている。体中が汚れ、髪の毛がぼさぼさになる程度ではなく、火傷に眼球の剥きでた顔面があり、まるで人体模型の半分を見るようだ。すこし気になったのは、皮のただれた惨い姿の子供が登場するのだが、そんな状態でありながら苦痛をあまり持たずに演じられていたのは、自分の身に起きた出来事を認知できずに、ただ兄を発見できたことによる喜びが表れていたからだろうか。平然に近い口調は、その淡々とした状態がこの不可解な状況を表しているようにも見える。


広島を離れてからの物語は、田園風景の中で平々凡々と時間が過ぎていく。「細雪」の結婚相手探しを想起させる苦労はあるが、直接の被爆ではなくても、黒い雨などによる原爆症という風評によって結婚はうまくいかないという深刻な問題が原因となっている。しかしその噂通りになってしまうところが、なんともいえない気持ちにさせる。


のどやかな田舎の生活ながらも、次第に原爆症の影響が表れはじめて、何事もなくのんびり池で釣りをしていた村人も、確実な浸食作用に襲われるように削られていく。やや退屈とも思われる静かなショットと編集は、俯瞰的に物語られる小説のような段落があり、密接な繋がりによるわかりやすいメロディーは作られず、散逸した欠片を冷然と集めていきながら、悲劇を描き出すようになっている。


それだから役者の演技一つ一つは見応えがあり、被爆した3人の男性の存在感が目立ち、戦争体験により発作的なトラウマを持った人物の衝動や、独特な声がドラマを思い出させる市川悦子さん、登場から悲壮的な運命を背負ったような表情で一貫している田中好子さんなど、それぞれの抱えた悩みが強い情感で表立ってはいないが、仕草の端々に見えている。


音楽は武満徹さんで、それほど幅を利かせることはなく、ちょうど良いくらいに収まっている。


ただ、観終わって驚いたのは、公開されたのが平成元年とあり、もっと古い映画作品だと思っていた。たしかに力のこもった演技はあるが、古い映画作品の持つ野趣は少なかった。丁寧にカットは編集されていて、変に衒ったり、奇抜を装うことはほとんどなく、田園風景そのものの落ち着いた作品となっている。だからこそ、池で鯉が飛び跳ねるのを錯覚して、ススキが儚げに飛び交い、我慢以外で固定されていなかった表情に初めて感情が灯ると、先を見てしまった哀惜が募り、原爆の影響を肌に感じる。

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