9月6日(金) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで堀内真直監督の「引越やつれ」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで堀内真直監督の「引越やつれ」を観る。
1961年(昭和36年) 松竹(大船) 83分 カラー 35mm
監督:堀内真直
原作:井伏鱒二
脚本:椎名利夫、 富田義朗
撮影:小原治夫
音楽:木下忠司
出演:津川雅彦、桑野みゆき、渡辺文雄、牧紀子
映画を観終わった直後に、この作品の感想を考えたが、とくに浮かんでこなかった。それは、とある店に入り、ポテトやエビフライにパスタやキャベツものった定食を食べて、おいしかったと言うようなものだろうか。何が、どのようにおいしかったのか。そんな質問をされれば、まるで何も味わっていないように、なんとなくおいしかったとしか答えられない。詳しく言うのが野暮だからではなく、おいしいとまずいの二つしか選択できないように。
金曜の夜で、明日は仕事がないのもあるだろう。映画の余韻が自分を運ぶように、県民文化センターのわきに自転車を停めて、アーケード下をぶらぶら歩き、細い道を通り、こんな店があるのかとぼんやり眺めていた。
それから平和記念公園のベンチで半月を眺めていると、風が気持ちよく、ようやく感想が浮かんできた。
まず夜逃げの仕方を教わった。夜逃げ1日目はトラックに乗って移動するも、着いた所では1泊しかせず、次の日には別のトラックに乗って移動するのだ。トラックであしがつかないように。そしてトラックに荷物を積んだまま不動産屋へ訪れても、易々と物件を借りることはできないらしい。
学生が下宿先の大家に付いて夜逃げの手伝いをする。今の世の中でもあるのだろうか。
画面の色はカラーで、古いフィルムの色合いに和んでしまう。あんなふんわりした色彩の中で毎日を送ってみたい。3Kだったか、それとも4Kだったか、鮮明な画面や、写真そっくりの写実的な絵よりも、今はなんとなく、不鮮明な雑踏と電信柱を見ていたい。
一昨日観た井伏鱒二原作の作品と違って、今日の井伏鱒二は、登場人物は多くキャラクターは立っているものの緊張感はなく、笑いも芝居がかった雰囲気が一段と落ちて、編集もなんだか気が抜けていた。それでいいのだろう。信州のどこだろうか、山梨か長野か、温泉街の風景は旅情を募らせる。それは昔の景色だからだろう。
下宿先を転々として、様々な人と出会っていく。今の言葉ならシェアハウスみたいだ。イベントに、情報発信で、この映画では下宿を閉めることに対してのストライキになる。昔はこれが情報発信だったのだろう。拡散だ。
芸者に、三味線と、畳の上での踊りは、今もあるのだろうか。経験してみたい。今更に、盆踊りを覚えたくなる。
科と度胸のある昔の男女関係は、いやよぉ、ばかねぇ、なんて言葉がある。今はあるだろうか。めちゃめちゃ、はいはいはいはい、ラジオからそんな言葉ばかり繰り返される。親は言っていた、返事は一回でよろしいと。文化圏と時代が違うのだろうか。
古い軽トラックの荷台に荷物と自分を積み、若さが苦い恋の経験を抱えて次の下宿先と未来の出会いを独白して進んでいく。誰かを怒らせても時間が解決してくれる、なんて言葉を頼りにして、どこかへ行ってしまいたくなる気持ちを募らせる。金曜日の夜には最適の映画だっただろう。
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