8月15日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでクリス・マルケル監督の「ある闘いの記述」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでクリス・マルケル監督の「ある闘いの記述」を観る。
1960年 イスラエル、フランス パンドラ 57分 カラー Blu-ray 日本語字幕
監督:クリス・マルケル
撮影:ギスラン・クロケ
ナレーション:ジャン・ヴィラール
荒涼とした土地の兵器の残骸らしきものから始まり、ナレーションは“印”という言葉を繰り返す。
建国から12年目に撮られた若いイスラエルという国の映像には、見聞きしたユダヤ人の姿があるも、その顔立ちは色々あり、画一的に言われてきた容貌がそのままある人もいれば、丸顔で鼻のあまり高くない女性もいる。しかしその顔は、旅行中に出会ったユダヤ人の顔の特徴を写していて、まぎれもないユダヤ人であることが知れる。
自発的にユダヤ人に興味を持ったわけではなく、近くにいる人から話を聞いて、気づけば同じ熱意ではないが、人智を越えた運命に翻弄されながらも、神によって、民族というべきか、宗教によって存在されてきた人々は、不思議という言葉がぴたりと当てはまる。学問や芸術、科学、商売、あらゆる面で、ユダヤ人という名は高い水準の結果を残している。フェニキア、アムル、ペリシテ、そんな古代の名と同じ歴史を持ちながら、今現在も存続して、人間の文明に大きく寄与しているこの人々は、生きた化石ではなく、常に生きていることに驚かされる。
謎と言うには言葉が足りない人々の姿を、この映像は上手に切り取っている。複雑を極めた混沌の表面に狙いをつけて、極微に形を変えていく筋に合わせてカメラはついていき、一つ一つを丁寧に抽出していく。ただその方法には、単なる感情的な詩情ではない、分析的でかつ叙事的であり、高等で鋭敏なレトリックの連続によるナレーションにより、その語る内容をたやすく捉えさせることはしないが、時に矢で刺されるように届き、霧のように茫洋とさせる。
科学と宗教の沈黙の反対にある宗教行事の進行による大騒ぎは、東南アジアで見る兵役を終えて放浪する若いイスラエル人のパーティではしゃぐ姿を納得させる。なぜ騒ぎ、笑うかは民族の歴史によると聞くこともあるが、高度な教育と学問による、高い規律を持った知性は、対照的な面を見せて困惑させる。ユダヤ人という言葉は、知れば知れるほど広がって奥へ延び、触れるのも難しく、掴むことなどできやしない。
ユダヤ人に興味がなく、また知識がなくてはこの映画を何一つ理解することはできない。それでも基本としての好奇心をもたらすだろう。ある程度の知識と欲があるならば、この映画はイスラエルという青年国家についての貴重な資料となり、超正統派、セファルディムの行進、未来に希望を抱く快活な声のラビ、暗く低い声で憂いを漏らす画一的イメージを持つ面貌の男、キブツでの話し合い、その逆サイドに存在する少数のアラブ人、黒いニカブらしき姿で歩く女性、馬について話し合う日に焼けたベドウィン、花柄のショールで髪を隠すロシア風の女性などが、土壌に花、木立に葉叢、枯れ木に死んだ土地と、塩と湿気で生命を遠ざける死海と大地が、広島とソドムの比喩で述べられて、好奇心は満たされるだろう。ついでに文学的欲求も、ただならぬ情感と、優れたリズムのモンタージュに効果的なユダヤの音階が加わり、多くの人々の表情の連続で、旅情を味わうだろう。
60分を満たない上映時間は、とても長く感じたが、それは退屈な幅ではなく、あまりの内容の見事さに、一分一分を逃さず、自分でその定規を伸ばしていたからだろう。
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