6月23日(日) 広島市中区榎町にあるACCAで「劇団月曜会創立60周年記念公園NO.2 おじいちゃんの口笛」を観る。
広島市中区榎町にあるACCAで「劇団月曜会創立60周年記念公演NO.2 『おじいちゃんの口笛』」を観る。
作:ウルフ・スタルク
訳:菱木晃子
脚本:広渡常敏
演出:原洋子
音楽:林光
照明:山中清行
出演:岩井史博、長妻藍、二見ひかる、沖本章子、山口香穂、木村憲文、吉川継史、清水正人、川上寛、清水正人、佐古奈々瀬
人生で3度目の演劇観賞は、広島に来て2回目の観劇で、ACCAでの月曜会の「街道筋」というチェーホフの作品で、それが昨年の1月だった。ずいぶん昔のことに思える。
それから約1年半か、月曜会の演劇を再びACCAで観て、こんなに味のある舞台だったのかと驚いた。客層は、午前中に観た舞台と異なり、市民劇場の会員のような年齢層の高さで、多くが上品な身なりをしている。それからACCAという劇団月曜会の自前というこの場所は、広くないが高さと奥行きのある限られた空間に、役者の声がうまく反響して、また天井部の照明設備もしっかりしており、特別な舞台効果を得られる親密な場所となっている。背もたれはなく、階段に尻を着けて座る席はすこし我慢を要するが、これだけ密度のある場所での観劇空間は広島で他にあるだろうか。山小屋シアターも距離は近かったが、ここはここで特別な空間だ。
秋風亭てい朝さんの「ぶつ会」、細川俊夫さんの「Hiroshoima Happy New Ear」、それぞれの企画に、新参な自分は長いこと続いていると思いを馳せたことはあったが、60周年の月曜会となると、半世紀を超える活動期間に重みを感じるばかりだ。前回の観劇ではわからなかったが、今日はところどころでこの劇団の持つ特色を随所に感じられた。
限られた空間を有効に、最大限に、計算され尽くされた演出は、冒頭のシーソーから衝撃を与える。照明の落ちたあの時間で、重たそうな、安っぽくない木造りの装置が運ばれていて、二人の子供がおじいちゃんについての問答を上下に動きながら交わす。理屈ではない、まるで生死から離れた物のように扱われるおじいちゃんという言葉の存在は、いる、という言い方ではなく、ある、という表現に詰まっている。
ミュージカルを想起させるはきはきした台詞回しは、空間に良く響き、役者も観客を無視するのではなく、しっかりと目線を定めて語り、一緒の舞台にいることを感じさせる。
ニルスというおじいちゃん演じる岩井さんが照明に表れた時は、あまりの存在感と舞台上の造形に鳥肌が立った。これ以上の本物があるだろうか。こんな効果を間近に観られるなんて。
それからも、ゆっくりした語り口に、若い劇団には観られない、むしろ市民劇場の舞台で聴くような丁寧で古風な発声に、おろそかにしない体と顔の動きがあり、シルクのスカーフで凧を縫うシーンや、ぶどう酒をあける場面など、小道具にぬかりなく、また演出の一つ一つにこだわり抜いた努力があり、こうも質の高い舞台なのかと感激した。近所に、こんな信頼できる劇団のある喜びが実感された。
現代スウェーデン児童文学界を代表するというウルフ・スタルクの「おじいちゃんの口笛」という作品は、二人の子供が老人ホームのとある一人の寂しい男性の終末に輝かしい人生の燈火を与える内容で、その動機云々ではなく、探検がどうということではなく、相手を思いやるというただそれだけの真情が、どれほどちっぽけな人生に喜びを灯すかを教えてくれる。
こういう作品を選べることが素晴らしいことだと思う。歴史ある伝統と重みには厚みがあり、こんな劇を自分が生まれるはるか昔から続けていたという息の長さと意志の強さに遠く想像させられ、身近に、自分の欲していたものがあるのだと気づくというのは、世界を自分で生み出していくことだと考えさせられる。
若い子もいる。この劇団の未来はどうなっていくのだろう。
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