5月23日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで文化映画鑑賞会「狂言」「能」を観る。

広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで文化映画鑑賞会「狂言」「能」を観る。


METライブ・ビューイングのように大スクリーンとまではいかなくても、大きな画面で能楽を観られたらどんなものだろうと思って足を運んだ。上映開始後から入場したので、1作品目の「狂言」のドキュメンタリー映像の冒頭は観られず、愛知や岐阜に残っている祭での芸能についての内容から入る。ブラウン管テレビで見るような70年から80年代に作られたであろう色あせた映像作品は、社会科の授業で使われそうな真面目な内容だ。各地の祭を根源として受け継がれ洗練されていったであろう狂言の解説が続くと、曲の場面を抜粋したりする。上映時間が長くないから端緒をつないでいるが、見ごたえがあったのもあり、人物が誰なのか判別しないが大人の男性と子供が稽古する姿で、体で覚えさせるというのを体現する通り、発声と抑揚を互いに繰り返しあって染み込ませ、また動作も大人が見本の動きをするのに続いて子供もするが、声も体ものんびりしておらず、待ったなしで次々に教え込んでいくので、教えるほうは熱くなって尻を叩いたりして、教わる方は萎縮したりするのがわかるも、なんとかついていこうとしている。クラシック音楽のレッスン風景を動画で観たことはあるが、似たようなものだ。どちらも厳しい。


2作品目が「能」で、菊の花を買い、着物姿の男女二人が高度経済成長期の日本の信号を渡るところで静止画となり、赤いフォントの分厚い書体で、能、とあり、次に赤毛の、獅子でいいのだろうか、能面姿の役者が現れる。これがなかなかよい冒頭シーンだった。ユーチューブや実際に観たことのない「土蜘蛛」や連獅子のような能面姿の曲の風景が抜粋されていて、鎌倉薪能のシーンも興味深かった。最も見ごたえがあったのは、舞台が始まる前の準備で、炭を熾したなかで鼓の調整をする囃子方に、シテ方の厳かなまでの衣装の着付けに、打ち合わせなど、この作品で語る通り、一切の無駄を削って洗練された能という芸能は、合理性を追求した機械のような精密さと法にあり、そこからはみ出ることは許されないので、準備の段階で形式に強く縛られている。印象的な解説が、外面的な美に、内面の深さ、それに演じる者への厳しさ、その3点の総合が挙げられていた。


3ヶ月前に亡くなったドナルド・キーンさんの「能・文楽・歌舞伎」を読んでいるが、まだ5分の1も読んでいない。それでもその下地のおかげで、今日の映像作品への理解はある程度復習するかたちとなった。この伝統芸能を凪の海とするなら、浅瀬にも浸かったことのない状態に自分はあるが、知れば知るほどこの不思議な世界に魅了されていく。退屈ではないが、ひどく眠たくなる舞台に、一体何があるのだろうか。わからないが、なんとなく、この世界に惹かれていく。ただはっきりわかっているのは、一つの美の極致にあることくらいだろう。

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