5月18日(土) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで黒澤明監督の「用心棒」を観る。
広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで黒澤明監督の「用心棒」を観る。
1961年(昭和36年) 東宝 黒澤プロダクション 110分 白黒 35mm
監督:黒澤明
脚本:黒澤明、菊島隆三
音楽:佐藤優
撮影:宮川一夫、斎藤孝雄
出演:三船敏郎、仲代達矢、山田五十鈴、志村喬、司葉子、土屋嘉男
たぶん、世界的な映画監督という名を小さい頃から刷り込まれているから、作品はすべて良いものだという思い込みがあったのだろう。今日の映画はそれほど感動することはなかった。
冒頭から佐藤優のハードボイルドな印象を与える音楽と三船敏郎の背中に格好良さを覚えるが、自分の求めるものはあまりなかった。宿場町の関係図をふらっと立ち寄ったさんぴんに丁寧に伝える登場人物の役割に、ひねりのなさを感じた。
その後、二つの集団による争いが展開されるも、それを煽動する三船敏郎が、鈴木清順監督の「くたばれ悪党ども」を観るようで、対立する集団を行き来する動きは宍戸錠を思い出させて、後半でどじを踏み、あれほど自信満々に策謀していたのに、顔を腫らして這いつくばって逃走する姿は、鈴木清順監督の「野獣の青春」だったか忘れたが、指を傷つけられて叫び声をあげる情けない宍戸錠をも浮かばせた。
6人切りの後の場所荒らしなどさすがと思わせる演出もあり、カメラの構図に対する意識もぶれないが、物語にどうも軽さが見えてしまう。殺陣も見事だが、後半の桶に入って外を覗く場面などは、あんな悠長にしていて良いものかと思わずにいられない。その後のシーンも諧謔が強く、「おれは人魂をみるとすっとするんだよ!」と大声で叫ぶところなどは本当に面白く、コメディ要素が強かった。そのせいか、この映画に緊迫感はそれほどなく、どうしてあんなに余裕があるのかという、映画を観るものにとって不必要な現実的視点を基にした不思議な疑問が浮かんでしまった。
前半から佐藤優の音楽は映画の雰囲気に合い、細かい部分部分でうまく添付されているが、鼻筋の驚くほど整った美しい司葉子さんが縛られて登場する場面は(この登場の仕方も、あとあと倒置法のような説明のカットも、唐突でやや不自然に感じた)、あまりにも扇情的な音楽により、切迫感がむしろ薄れて、安っぽい場面だと思わせる大衆受けしそうな演出だった。
などと否定的な点をあげてしまうが、それは期待が高かった分の差異であり、カットのリズム、演技の質、構図の美しさ、小道具の念入りなどは、他の監督とは異なる念の入りようがあるだろう。それに自分の観た宍戸錠の出演する鈴木清順監督の映画は、このあとに作られているのだ。
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