10月27日(土) 萩の夕刻の菊ヶ浜を観る。
夕刻の菊ヶ浜を観る。
外堀通りより東の萩城城下町周辺を観るのみで、旧毛利別邸表門や旧福原家萩屋敷門などの残る西は観ることができなかった。
萩焼資料館の閉館時間が近づいているので急いで自転車をこいで萩城跡へ向かうと、東よりも土地の区画の広い通り道に風情があり、萩は見どころが多い、もっと見たいなと悔しさが募る。
橋を渡るところで、萩八景遊覧船乗り場の人気のない雰囲気に、種類の違うヤシの木が白い塀の裏に立ち、すこし青みがかった神秘的な水は細かい波紋をたてて北風の通りを運んでいる。
閉館十五分前に着き、乱れた頭で入館料を支払い、入ると、暗く、作品数は多くない。正直価格に見合わないと思った。いくらでもある興味深い選択肢のなかで、わざわざここを選んで、それほど安くない金を使ったのに。
それでも頭が落ち着き、眼が慣れてくると、古萩と呼ばれる数百年昔の物はなんとも言い難い味わいのあることに気づく。長い歴史が刻まれた肌合いと深い貫入には、老人の皺のような物言わぬ貫禄があり、老木や古壁のような風雨や年月に磨かれた落ち着きがある。ぐい呑を集めているが、やっぱり茶碗は品があると思った。手に持って触れないのが博物館の残念だ。
17時になり、内堀から萩城跡の指月公園を観る。ここも料金を払わないといけないが、こんな時間に入園してものんびりはとてもできない。自然の暗さに迫られて、不気味に、暗澹とした気分で一人何を思って徘徊するのか。当然入ることはやめる。
内堀に沿って進み、石垣の隙間から菊ヶ浜に出た。夕の陽射しが遠景の家々と緑を照らし、強いコントラストに浮かびあがる。風は思ったよりも弱く、波も落ち着いたリズムにほそぼそと割れて、観光の幕引きにあせって落ち着かなかった心は、ここで否応なしにとどめをされる。眼前に広がる景色はその大きさで自己の存在の小ささを捉えて、じたばたしても今日はもう終わりだ、欲にかられて、あれこれ見ようともがいた短い時間はとうに過ぎてしまった。いったい、自分は今日は何をみていたのだろうか。
落日だ。一日の連続が人生となる。こんな日々の連続の最後には、おそらく、今とあまり変わらない心情でいるのではないだろうか。欲しがり、動き、欲しがり、動き、それでも足りずにいたら、自然が釈迦の手の大きさでストップをかけて立ち塞がり、考えさせられて、色々欲しがったけれど、少しは欲しい物を手に入れて、そう悪いものではなかった。
そんな風に楽観的に思えるわけがない。悲嘆にくれて絶望するのが最後だろう。
それでも、今日の夕陽は充実感を体に満たしてくれるのだから、やっぱり希望と満足は、思い切り走り回り、もがき苦しんだ末に、閉じた幕の奥から様々に映写されるだろう。
18時までに自転車を返さなければならない。なによりも自然の風景が好きだ。いつまでもこうしていられる。それでも、帰らないといけない。砂に車輪をとられて、自宅ではないところへの帰路へ向かう。この時に、電車に乗った朝以来の音楽を聴く。いつもなら音楽ばかり聴いて観光することが多いのに。昨日から聴き続けているシベリウスの交響曲が、冷たく、情感豊かに添えてくれる。
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