10月26日(金) 津和野に着く。

津和野に着く。


事前に観光地を調べて歴史や特色などを頭に詰め、趣味に合った場所を選んで見て回るのが効率良い観光の手順だろうが、劇でも映画でも、自分は事前に情報を仕入れたくない。少ない目的で観光地を選び、実際に足を運んで情報を手に入れていくほうが発見が多く、効果を新鮮に味わうことができる。非効率で取りこぼしが多くなるにしても、アドリブとまではいかないまでも、普段は習慣によって左右されている行動から逃れられる旅行という非日常の生活で、より開放的に、我儘に選択できる自由という利点をなるべく使いこなしたい。


駅に着いて観光案内所へ行く。見どころ、交通手段、お得チケット、大まかな所要時間、名物料理などを尋ねる。


タイミングが良いことに、美術館入館券2枚、カフェ・スイーツチケット、レンタサイクルチケットがついた1500円の津和野テクトクチケットに、町内加盟店でつかえるこだま商品券1000円分がつくキャンペーンが12月24日まであり、それを買うことにした。これはお得なチケットだ。


津和野町日本遺産センターに行けば、津和野百景図という江戸末期の町が描かれた絵の複製を観ることができるので、まずそれを観てから、町を見比べていくのも面白いと言われたので、それに従うことにする。


まず釜井商店でチケットを渡して、自転車を一日借りることにした。予約した宿が駅から離れていて、そこまで歩くと30分以上かかると言われたので、次の日の朝に返却できるか尋ねると、追加料金200円でよいとのこと。始発で出発するから、朝の7時前になると伝えると、店の前に置いておけばよいとのこと。なんだか東南アジアの旅行を思い出す、嬉しくなるやりとりだ。役所じみた事務的な手続きがなく、とても簡便だ。


三段ギアのママチャリに乗って、すぐに津和野町日本遺産センターへ行く。入ると、すぐに職員の人が簡単な説明をしてくれる。


津和野百景図は、栗本格齋という人が描いたらしく、この人は殿様の側に仕えていた人で、狩野派の絵を学び、茶室の管理をするような教養のある人だったそうだ。明治に入り、津和野藩主だった亀井家からの依頼で、50歳を過ぎ、すでに津和野を離れて京都にいた頃に描き始めたそうだ。驚くことに、絵はすべて昔の記憶から引き出されて、とても記憶力の良い人だったそうだ。


この絵を描く依頼の背景には、もうすでに津和野藩はなく、華族となった亀井家が昔の功績を残したいという過去への思いがあったのかもしれないとのこと。死に際の回想録のようなものだ。昔を懐かしみ、町並みや伝統行事、季節の風景などの津和野藩の存在そのものを画面に残すことは、おそらく依頼した者も、描いた者も、感慨深い作業で、とても懐かしい記憶を引き出す作業になったに違いない。


残念なことに、百景図に描かれた町並はほとんど残っていないとのこと。


そんな話を聴いて、百景図をじっくり観てから町をまわりたいところだが、残るは半日、時間があまりない。じっくり観たら町が観られなくなってしまう。ざっと見てまわり、津和野についての説明も新聞を斜め読みするより早く通過したので、何も見ていないとほぼ変わらない。


説明してくれたおじさんにお礼を言い、外に出ようとすると、そこでもついつい立ち話をしてしまい、地層と歴史を結びつけた観光についての話を聞く。高津川と錦川の源流についてや、萩へ流れ着く阿武川の源流、そして阿武川の三角州が萩市内を形成し、海の向こうに見える島は火山島、などなど。ブラタモリという言葉も出てきて、もっと話を聴きたいところだが、なにせ時間がない。


お礼を言って、本町通りの観光へ向かう。


津和野に着いてすでに30分以上経過している。町を観るより、人と話してばかりいる。今までの自分の観光とは少し異なっているけれど、会話は楽しいものだ。

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