9月14日(金) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでジャスティーヌ・トリエ監督「ソルフェリーノの戦い」を観た。

広島市映像文化ライブラリーで、ジャスティーヌ・トリエ監督「ソルフェリーノの戦い」を観た。


この日から、「カイエ・デュ・シネマが選ぶフランス映画の現在」が始まり、名匠から新鋭監督の10作品が上映される。


この日の映画は、家庭内の乱れから始まり、それはサルコジとオランドの大統領選の第二回投票当日の騒乱を予兆しており、言葉尻を待たずに発せられる言葉のやりとりは、それぞれが覆いかぶさるように会話を昂進させて、むやみに熱狂させる。


時間に追われていれば余裕はなくなり、不安定な状態は相手への信頼を失い、常に大切な存在を心配してそわそわしているが、良かれと思ってなすことが、実際はその存在を危険な場所へ向かわせていることになり、過去の経験から生み出された断定的な不信感は相手の言葉や態度を一切観ることなく、意識の内でその存在が形作られているので、なにものも耳を貸さなくなり、不安が不安を呼び、選挙戦で賑わう通りにやや不自然に集合させることになる。


融和を必要としない一面的な同調によって引き起こされたスポーツやパーティーのような擾乱は、バッタの飛蝗現象と同じ個体の一時的な変態の集まりが賑わい、俯瞰された通りはひしめき合い、選挙結果の瞬間はおぞましいうねりを見せて、選挙運動とは関わりのない仕事に従順なベビーシッターや、子供への愛情で興奮した男を一緒に飲み込んでいく。それは渦潮に飲まれてもがく姿にも似ている。


日中を通して支配していた不安定が夜に沈むと、外ではピークを超えて荒れた人々による小競り合いが、身内の熱情を発散しきれずに共食いでも始めるように起こり、離婚した夫婦の再会は、家の中で第三者を加えて典型的な夫婦喧嘩を始める。相手の言葉をいかにやりこめるか、喜劇的な対峙は、不信に固執が生硬な態度を生み出し、暴力的な言葉に破裂した怒声を繰り返す。


それから嵐は沈み、根の深い陰湿な喧嘩ではなく、感情の対決のあとによく見受けする、長い短距離走のあとの心身の疲労がそうさせるのか、不気味な和やかさがまどろみのようにそこにいる人間にまといつき、夜が人間の性質を変化させるのか、酒と煙が巻く、緊張のあとのだらしない融和が起こる。


大統領選の一日に、子供への愛情に突き動かされて戦う離婚した夫婦の姿は、なんら珍しいものではなく、どちらも偏狭なところに好感を持てるのだ。身近にいれば顔をしかめて手をあげてあきれる種の人間だが、動機は愛情を発端としているから、嫌悪はできない。


常に枠の端で、戦いをするように直情的な口論をする姿は、なぜか自分の中のフランス人らしい典型と判断してしまう。英米人のようなユーモアではなく、余裕ではなく、素直な機知が生み出す、鳥の旋回のような鷹揚さを感じる言葉選びは、時には人を痛めつける卑俗的なニュアンスを帯びるも、自由闊達な国民の気質が表れる。


子供のように素直で、真面目で、人情の溢れるフランス人を、映画に錯覚してしまう。

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