9月7日(金) 広島市中区加古町にある広島文化学園HBGホールで「広島交響楽団第383回定期演奏会」を聴いた。


広島文化学園HBGホールで、広島交響楽団第383回定期演奏会を聴いた。


指揮:ガエタノ・デスピノーサ

ピアノ:キム・ヒョンジュン


モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲

モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調「ジュノーム」

ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調

アンコール

ドビュッシー・前奏曲第1巻から第8曲「亜麻色の髪の乙女」

ロッシーニ:オペラ・ファルサ「ブルスキーノ氏」序曲


体調管理に失敗して、前半のプログラムはほぼ眠気との闘いに終始してしまい、音色は心地よい音色でしかなくなり、大雑把な表情さえ読み取れず、鼻が詰まった状態で芳しい香りが飛散するキンモクセイの花をわずかに感じているように、何も感じないに等しい時間が続いた。


以前、PMFオーケストラでファビオ・ルイージが指揮したワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲に疑いのない異空間を感じ、N響で指揮した「カルミナ・ブラーナ」に壮大ながら細部は事細かに際立って整然としていたのに驚き、どちらも手が割れんばかりに拍手した記憶があるので、ファビオ・ルイージは好印象が残っている。その人との出会いをきっかけに指揮者として活動を始めたというのだから、今回の指揮者であるガエタノ・デスピノーサにルイージを求めていた。


ドン・ジョヴァンニは、これで終わりかと思うほどあっさりと終わった。音が小さい、体は何も感じない、久しぶりの演奏会だからか、こんなものだったのかと疑問を繰り返し、以前映像で観た終盤の恐ろしい音楽の記憶が残っているドン・ジョヴァンニも、こんな明るさだけだったかと、自分の素養のなさか、モーツァルトへの相性の悪さか、それともこの指揮者はエネルギーがないのかなどと、良い音なのだがそれだけで終わる時間が続き、苦悩した。


ピアノ協奏曲はさらに睡魔が大きくのしかかってきて、印象があるのは、やけに華やかで粒のくっついたピアノの音で、とある一音に芯のある品格が聴こえず、音の中心はかすかにざらざらしているので、明確で澄み切った核が見えず、うすくぼやけていて、なんだか納得いかず、歌うようにピアノは演奏されているのが、これは趣味ではない、まだ若いからか、技術は高く、可愛らしい音色だが、懐古趣味な自分には、いくぶん感傷的に聴こえてしまい、もっと無駄を省いた枯淡な音が欲しいと、何度も眠りながら聴いていて、終わってみれば、まわりは「ブラボー」がいくつも叫ばれ、これは自分が間違っているのだろうか、眠気が感受性をすべて奪い、目も、耳も、鼻もない状態で、ああだこうだ言っても、これは自分が原因なのだと、ああ、腹が空いた、もっとしっかり食べ物を入れてくればよかった、糖分が足りないから頭が働かないのだ、コーヒーでも飲んで目を覚ませば、もっと味わえたのにと後悔しながらいつもより、はるかに小さく、やる気のない、いわばふて腐れた拍手をしていると、アンコールが始まり、ドビュッシーの亜麻色の髪の乙女が演奏されて、さらにあまったるい情感が、眠気と空腹に侵された自分の鈍い感受性と同じくらい細かさのない、どぎつい生クリームのケーキを食べさせられるように、タイミングの悪さと、好みの違いに、苦笑した。


後半のベートーヴェンは休みを挟んだせいか、少し眠気は飛び、音に集中できた。自分の嫁は、ベートーヴェンの交響曲のなかで、この4番が最も好きだと公言しており、最近お店で話したお客さんもどうやらそうらしく、一緒に楽しく盛りあがったと言っていた。派手で暗い曲が好きな自分は、ミーハーな好みがあるのを自覚しているので、3番が好きだ。4番は8番と区別できず、人の顔と名を覚えるほどに苦手とする。ところがこの日は、4番の特徴がわかりやすく自分に伝わってきて、シューベルトやシューマンを好む嫁の趣味を、下野さんによる去年からの新ディスカバリー・シリーズでシューベルトの交響曲を1から順に聴いているので、どのようなのが好みなのかなんとなくわかり、ああなるほど、このあたりは、牧歌的とまではいかないが、わりと単純で軽快なところがあり、やさしく、おちついていて、強くないほのかな明るさとうるわしさがあるなと感じとることもできて、やっぱり前半は眠気が良くなかったのか、それともモーツァルトが良くなかったのかと、いつもどおりの音量で聴こえてくるオーケストラに安心しながら、ルイージほどの厳密に作り込んだ感じがしないのは、広響とのリハーサルが少ないのか、それとも言葉の問題かなどと考えながらも、退屈だった4番も、聴きどころはいくらでもあり、決してつまらないと捨てやるようなものではなく、色も輪郭もなかった印象にエッチングが加えられていくようで、終わってみれば、まわりの「ブラボー」に同調して、いつもどおり隣の人が耳を塞ぐほどの大きな拍手を続けることで満足できた。


終わり良ければすべて良し、などと考えてアンコールを待っていると、始まったのは聴いたことのない序曲で、弦で譜面台を叩いて音を出す箇所がなんどもあり、面白いなと思うよりも、まぎれもないイタリア人指揮者による、国民性と伝統を受け継いだ、すばらしい節回しによる、太陽のように人生を讃えて、輝かしい今と未来を謳い上げる本物の指揮者が目の前に現れ、ルイージの後任だろうと勝手に思わせるほどの見事な腕前を披露した。これで今日のコンサートに来たかいはある。すべてが報われた。前半の疑問も解決した。やっぱり眠気がすべてを台無しにしていたのだ。最初から、この指揮者は本分を発揮していて、大げさではなく、スマートに曲を構築することで、協奏曲ではソリストをしっかりと支えて、おそらく歌劇場のオーケストラと同じ役割を受け持ち、自分はそれを知らずに物足りないと感じていたのだ。


解放されて溌剌とアンコールを指揮しているようだった。それがとても爽やかで、感じの良いもので、楽団員と握手して観客席に礼をするデスピノーサに、本物のイタリアのオペラの一端を観ることができた。下野さんのスッペの序曲とは一味違う、まぎれもない歌劇場あがりの、イタリア人によるイタリアのオペラの序曲だった。


おかげで、帰りは眠気などなく、腹は減っていたけれど、朗らかな気分だった。欲を言えば、などと頭に浮かぶけれど、これで良いのだと、満々たる本川を観て頷き、歩いて帰った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る