8月16日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーでセルゲイ・パラジャーノフ監督「アンドリエーシ」を観た。
映像文化ライブラリーでセルゲイ・パラジャーノフ監督「アンドリエーシ」を観た。
今月の16日から23日まではこの監督の作品が特集され、先月から待ちに待っていた上映が始まった。ソ連時代のグルジスタン生まれのアルメニア人ということで、ハチャトゥリアンと似た出自を持つ。ソ連およびロシアの映画監督は数人しか知らないが、どの監督も必ず独特の個性を持ち、幻想的かつ、土臭い美意識があり、徹底した作品作りをする印象を持っているので、この監督がどんな映画を見せてくれるか期待を膨らませて観たら、なんとも困惑する内容だった。たしかに古代の顔ばせを今も残すコーカサスの人人と民族衣装で着飾った彼らが、大地の恩恵を大きく受けた生活をして、歌い踊る姿は自分の期待していたとおりだったが、子供向けの映画だろうか、ウルトラマンのような特撮が多く、展開は脈絡がありながら無謀なほど突き進み、理屈や説明を観衆に教えない。ただこれを楽しめと言わんばかりだ。羊飼いの少年は英雄から魔法の笛をもらい、悪いやつがやってきて村は焼かれ、長馴染みの女の子は一体何の役割があるのか、羊飼いの英雄は徒党を組んで悪いやつを倒しに行き、少年は別行動すると、悪いやつの仲間が雨を降らし、ピエロが現れ、笑い、笛を吹き、などなど。疑問が際限なく浮かんで仕方がなかったが、ふと気付くと、これはまるで子供の視点を観ているようだと思った。理屈なく、場面は慌ただしく展開し、スムーズではなくぶつ切りにコマ割りされていて、演出は凝っているがおぼつかなく、迫力のある場面もあるのだが、どれも突拍子も無い。エンディングまでの展開も、まるで打ち切りにあった少年漫画のように、入りきらない荷物をリュックに無理やり詰め込んで片付けるやり方だ。それでいいのだろう。映画全編に流れる音楽はその土地とソ連を感じさせ、クラリネットやフルートのメロディーは、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲の音調を感じさせ、それはプロコフィエフのチェロ協奏曲や、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番、さらにムソルグスキーのホヴァンシチナのペルシャ人奴隷の踊りの旋律さえ想起させる。コーカサス地方の音楽は、その人人の文化にアジアの大平原の騎馬民族的な要素の他にオスマンやペルシャの要素も組み合わさり、類まれな調子がある。ここは未だ古代であり、グルジスタンやアルメニアの教会が示すとおり、銀杏のような種の強さで、原初のキリスト信仰の美しさがどこにでも感じられる。それを少しでも味わえたから、この映画は良しとすることができる。しかし、明日からの作品はどうなっているのだろう。
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