7月22日(日) 広島市南区松原町の広島フルフォーカスビル 6Fにある「かさねがさね」でお好み焼きを食べた。
「かさねがさね」でお好み焼きを食べた。
広島駅前のえきまえ広場に店はあった。土曜日の昼、職場でお好み焼きを食べる時に、必ず放映されている芸人とアナウンサーの出るTV番組で見たことのある場所だった。お好み焼き屋がたくさんあり、こんな場所だったのかと初めて知った。
広島に住んで二年半になり、二週に一度は必ずお好み焼きを食べるから、それなりに味はわかるようになった気がするが、生まれも育ちも広島の人とはキャリアがてんで違う。職場でも、女性職員さんが、「キャベツがしなりすぎている」、「ちょっとしょっぱい」、「味がうすい」、「ソースが足りない」、「塩っ気がかたよっている」などの意見があり、同じ店なのに毎回違うお好み焼きだから、なるほどと思うことがある。
ここの店で食べたお好み焼きは、職場で食べるよりも味が強かった。胡椒がより香った気がする。けれど話に夢中だったので、鋭敏に味わう余地はなかった。
むしろ店員さんの話が興味深かった。二人の人から、広島の自転車ガイドツアーや、訪れる外国人の地域、瀬戸内の紋甲烏賊、チヌの美味しいところ、などなどを聞けた。
生粋の広島の人は、という話の例を聞いていて(例えばキャベツの切り方による店の見極め方)やっぱり自分は広島の人間ではないと感じれた。生粋の京都の人は、細かい住み分けを気にすると聞いたことがある。二条城近くの宿の人が教えてくれたけれど、本当かどうかは知らない。それと似た生まれ育ちの誇りを感じた。いわば血統証みたいなものだ。
良い悪いはなく、その閉鎖的とも言える気の持ちようは嫌いじゃなく、むしろ好感が持てる。徹底した意識のなかに、確かな、細かい違いが沢山潜んでいて、話を聞いていて好奇心の掻き立てられるのを感じた。断定的な言葉でいえば、その差別意識は、生まれ育った土地への過剰な愛着だから。
生粋の広島とはほど遠い自分だからこそ、その話を面白く聞けた。間違いなく自分は、生粋の広島の人からしたら、ただのよそ者だろう。それが良いと思う。今さらじたばたして広島の人らしい振る舞いをしたところで、偽りでしかない。この先三十年くらい住んだら、少しは広島の人らしいかもしれないが、子供の時の体験が抜けていれば、やっぱり半端者でしかないだろう。
お好み焼きの味がわからないくらいがちょうど良い場所なのだ。
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