6月 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ中ホールで「広島市民劇場2018年6月例会 加藤健一事務所『煙が目にしみる』」を観る。

広島市民劇場2018年6月例会、加藤健一事務所による「煙が目にしみる」を観に行った。


市民劇場のサークルに入会して(3人でサークルを作って参加する条件だけれど、運営事務所の方のサークルに加えてもらった)二回目の例会で、4月の劇団東演による「検察官」で生の役者の力量の凄みを前から三列目の席でおおいに味わい楽しめたので、今回もとても楽しみにしていた。


参加した当初は、自分の参加しているサークルの方から、「劇団の名前を聞いたことがあるだろうけれど」と言われても、何のことやら。文学座や青年座など、今までに演劇にまったく縁のなかった自分からしたら、何も意味を持たない名前だった。


前回の劇団東演、今回の加藤健一事務所、これらがどれほどの意味を持っているのか今もそれほどわからないが、すこしずつ劇団の名前を覚えいき、特徴や演出の違いなど知ることができるのだろうか。


昨日の劇も無知な好奇心が全面に出ている自分にはとても楽しいものだった。葬儀所で出会った二つの家族にまつわる劇は、日本の少しだけ昔のどこにでもありそうな家族内に、それぞれの問題があり、火葬中の短くない時間に表面に出すことをはばかっていた問題がいくつか噴出して、大切な人の死という非日常に合わせて、それぞれの日常から逸脱して誠実にそれらの問題に顔を向けあっていく。とても心に染み入る劇だった。


ふと、昔の自分を、母方のおじいさんが亡くなった時のことを思い出した。今回の劇のような直接的な出来事はなくても、居場所がわからず姉と一緒に話すことなく立っていたら親戚の人に夫婦と間違われたり、お通夜の帰りに兄と姉の三人だけで一緒に車に乗ったり、当然、昔の姉弟の記憶を思い返し、日常においては起こりえない出来事が、親類の死によって無理やりと関係を近づけられ、それによって様々な不具合が起こり、それが過去と今の家族関係を感傷的に見つめさせることになった。


市民劇場の例会は来月もある。それまで良質の劇を待たなければならない。


ふと思うのは、頻繁に劇の観れる日常だ。こんな時、昔に住んでいた場所を思い出す。町田にも市民劇場がある。それよりも、小田急線で30分ほどで世田谷に行けるという立地を、どうして活用できていなかったのか。今だったらどれほどその住んでいた場所を喜んだことだろう。


自分が変われば、場所は変わらなくても、場所の持つ意味は変わる。


なんだか人の死にまつわる劇を観たせいか、変化についてやけに感傷的になってしまう。それは若さを少なからず失ったせいだろうか。

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