5月 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで「ポーランド映画祭」を観る。

広島市映像文化ライブラリーの今月はポーランド映画祭だ。


五月の二日から始まり、イェジー・カヴァレロヴィッチの「影」、「夜行列車」、「尼僧ヨアンナ」、「太陽の王子ファラオ」を観た。


十六日まであるけれど、カヴァレロヴィッチの作品は昨日で終わった。


どれも良かった。


昨年は、ポーランド人のアンジェイ・ワイダ監督の「大理石の男」と「コルチャック先生」を観た。


これらも良かった。


18時に仕事が終わり、18時に映画上映の始まる日がある。去年はそんな日には観に行かなかった。今年は退勤前にこそこそパンを噛り、一秒を惜しんでタイムカードを押し、全速力で自転車をこいで映像文化ライブラリーへと向かう。


去年が悔やまれる。


ポーランドはつまらない国だと思っていた。バルト三国は何も知らず、ウクライナはポチョムキンがあり、チェコはイジー・トルンカ、ハンガリーはバルトーク、この国はショパンがいるけれど、ルノワールぐらい自分の趣味に合わない。ルトスワフスキーは今年の広響でやっと機会を手に入れたばかりで、当時は見知らぬ人だ。


アウシュビッツ。これ以外に何もなく、暗くて暗くて仕方ない、魅力のない国だと思っていた。


ポーランドに行って知ったのは、あまりない。クラクフに泊まった家で、ホストの女の子が、彼氏と別れたらしく、運悪く甚大なハートブレイクの最中で、自分たちの部屋に何時間も、隣から悲しい電話の声を聞かせていた。ポーランド語はまるでフランス語のように聞こえていて、何語で話しているのかわからなかった。


広島に来て、ホストをして、迎え入れた外国人は、フランス人とポーランド人が多かった。オーストラリアも少なくはなかったけれど、いつでもフランス人とポーランド人は好意を持たせる人間性を持っていた。


自分の会ってきたポーランド人は常に嘆いているように思えた。パリでガレットを試食する会に参加した時、ポーランド人の女性がいた。フランスの会社に働き、フランス語が話せず、パリの生活を悲しんでいた。


ポーランド人は自虐的で、いつも悲しみに満ちているように思える。今年家に来たポーランド人の女の子は、きれいな顔なのに、目に大きなあざをつけていた。電信柱にぶつけたとのこと。


彼らは悲しくても良く笑う印象がある。自国の食べ物の話を喜んで話しもする。


ワルシャワでアップライジングの歴史を知り、驚愕した。アウシュビッツだけじゃない、自国の為に立ち上がり、悲惨なまでにドイツから徹底的に破壊されたワルシャワの街を。


アンジェイ・ワイダもイェジーカヴァレロヴィッチもその当時を題材に映画を作っている。ドイツ、ソ連、ポーランドを知れば、国は切り離せない。


別に特別な興味もないし、好きになりたいわけじゃない。フランスのように最初から魅惑的で、知れば知るほど好きになる国でもないのに、なんだか機会があるごとにまとわりついてくるポーランドという国は、ヨーロッパを旅行している時も行くことが楽しみじゃなくて、行ったからといってのぼせあがるほど楽しいわけじゃなく、なんとなく楽しかった国の一つくらいだったのに、このスラブ人の国家は、今もなお自分をつついて放っておかない。


この国は悲しい歴史をものともしない、強く、朗らかで、人間味に溢れた人々に溢れていることを知っている。


今はもう、特別な国となって、こちらから求めてしまう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る