12月 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザ能楽堂で「茂山狂言会鑑賞会五世千作・十四世千五郎襲名記念」を観た。

 二三ヶ月前のこの時間に、N響のコンサートを観ようとテレビをつけると、狂言が放映されていた。学生時代に夜更かししている時、暇つぶしにテレビのチャンネルを色々変えていて何度か目にした映像だ。辛気臭い静かな舞台に声がやたらに響いて、一体何をしているのかわからないからどのように楽しいのかまったくわからず、一人で起きている夜をひどく不気味なものにした映像だ。クラシックコンサートを観れないけれど、神楽を楽しめている今なら狂言もわかるかもと思って観たが、あまりよくわからなかった。ただ以前と違って、役を演じる人の所作に味を感じることはできた。動き、言い回しなど。カーリングのルールを詳しく知らないが、なんとなく面白みが伝わってくるような感じに、狂言への興味も素直に湧いてきた。


 数日前にアステールプラザで狂言を観た。茂山狂言会鑑賞会五世千作・十四世千五郎襲名記念。曲は、鬼瓦、惣八、鬮罪人。狂言と能の区別も曖昧だから、狂言大蔵流の名門の茂山千五郎家がどれほどの地位にあるのかその時は知らず、初めてのものを観る時の楽しみとして一切予習せずに舞台観賞へ挑んだ。


 テレビから植えつけられていた印象と違って、狂言舞台はとても和やかな観客の笑い声に溢れていて意外だった。格式の高さから芸を味到するには相当の教養が必要だと思い込んでいただけで、実際は役の動きに自分の素直な感覚を合わせて笑えば良いのだ。自分の真後ろの席に座っていた女性なんかは、箍の外れた笑い袋でさえ笑えないほど、一つ一つの動きに過剰に反応して笑っていた。自分が役者の動き100に対して3だけ反応して笑っていたとするなら、後ろの女性は95は笑っていた。自分からしたら節操がないほど笑っているけれど、クラシックコンサートで鼻歌を歌うような不躾な真似ではなく、本人の思うままに笑ってなんぼの狂言舞台だと思えた。


 とはいえ、さすが伝統芸能だから、一切の無駄を省いた精密機械のような舞台運びに感嘆した。様々な演目を観たことがないからわからないけれど、これはアドリブだと思う箇所はあるにしても(「惣八」の中で、僧侶が鯉を捌く時、広島の鯉を持ち出したと言うあたり)、動きや言い回しはからくり人形のようで、設計図に忠実に動いている印象を覚える。聞き慣れない言葉が多く、耳も親しんでいないからせりふを少ししか味わえていないけれど、声音の調子から受ける表現効果は割にわかりやすく感じた。


 感心する点はいくつもあったけれど、舞台が終わるとたいていは忘れてしまう。その中でも明確に覚えている情景がある。「鬼瓦」のなかで、因幡堂の鬼瓦を大名と太郎冠者が二人して大笑いをする場面で、笑い終えた後に、間髪入れずに見せる大名の真面目くさった表情に移り変わる瞬間の間に、ああこれは素晴らしい味があると唸りつつ笑い声をあげてしまった。訴訟のために長い間京に滞在していた大名が、無事に事を終えて国許へ帰るお礼と感謝のために訪れた因幡堂の屋根を見て、厳めしい鬼瓦に国許の女房の顔を見て取って、早く逢いたいと泣いて笑うのだけれど、あの表情にはどんな意味があるのだろうかと想像を巡らせてしまう。


 神楽もいいけれど、狂言は品格が違い、芸の凄みを真に感じることが出来る。数ヶ月前に観た文楽もそうだけれど、日本の伝統芸能はなんて素晴らしい水準にあるのだと喜ばしくなる。神楽じゃ物足りない。月に一度は日本の伝統芸能を生で観たいと思ってしまう。

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