第2話 恋愛相談
退屈な授業を終えて、残るは掃除をして帰るのみだ。春樹は、入学して一度も使ったことのない二階トイレを一人で掃除していた。顔も知らない連中の使った便器を掃除するだけでも気分が乗らないのに、一人となると虚しさまでプラスされる。他のクラスメイトはというと、掃除場所担当の先生が出張なのをいいことに、そそくさと部活に行ってしまった。掃除をサボってまで熱中するものが無い春樹にとって、それは少し羨ましいものだった。
あらかた掃除を終えた所で、手を洗い流してトイレを出ると、廊下の壁にもたれ掛かるようにして一人の少女が立っていた。それは、春樹のよく知る人物だった。
「お、やっと出てきた」
「真紀子、何してるんだ?男子便所の前で」
「見たらわかるでしょ。春樹を待ってたの」
佐山真紀子とは小学生の時からの知り合いで、家も近かった。小さい時はよく遊んだが、高校に入ってからは言葉を交わすこともほとんど無くなった。高校入学とともに引っ越したらしく、その家もどこにあるのかは知らない。言わば元幼なじみだ。
「何か用でもあるのか」
「まぁね。どうせやることないんだから付き合いなさい」
強引に腕を引っ張られ、階段を上って行く。
連れていかれたのは一年三組。真紀子のクラスだ。真紀子は、窓際の前から三列目の椅子を後ろに向けて座ると、四列目に座るように促した。
腰を下ろすと、意外と近くに真紀子の顔があり、つい視線を窓の外で元気にボールを蹴っているサッカー部へと向けた。その時、真紀子がサッカー部のマネージャーであることを思い出した。
「サッカー部はいいのか?」
「うん。今日は休むって伝えてある」
部活を休んでまでの用事とはなんだろう。少し悩んで出てきた結論は、直ぐに打ち砕かれることになる。
「実は恋愛相談なの」
「あっ、そうなんだ......」
一瞬でも告白されると思った自分を殴りたい。顔が赤くなっていないか心配だ。
「でもなんで俺なんだ?仲良い女子とか、もっと適任がいるだろ」
「それが春樹が一番適任なのよね。不本意なことに」
こっちだってと言いたいところだが、時間の無駄なので顔をムスッとするぐらいで許してやろう。
「何その顔。全然似合ってないわよ」
もう帰ってやろうか。心の中で愚痴を言っていると急に本題に入ったので仕方なしに聞く。
「単刀直入に言うとね。私は翔くんのことが好きなの。だからその友達である春樹に、翔くんの好きなものを聞こうと思って」
「翔か。まぁ確かにカッコイイな」
松岡翔とは中学からの友達だ。同じクラスになって意気投合してから何度か遊びに行ったこともある。高校に入ってからはクラスも離れたし、何より翔はサッカー部に入っている。こんな怠けたやつと遊んでいる場合ではない。毎日遅くまで頑張っているのを見て、真紀子が惚れるのも無理はない。翔はルックスもよく、サッカーも上手い。中学の時にも男子女子問わず人気だった。
「で、何か知ってる?」
「好きなものって言われてもな。食べ物か?」
「知ってるもの全部よ。食べ物でも服でも」
「そんな事言われてもな......そう言えば以前映画を一緒に見に行った時にショートカットが好みだって言っていたような気がするけど......」
思い出したことをそのまま喋っていると、真紀子の肩甲骨の辺りまで伸びた綺麗な黒髪が目に入って言い淀んだ。
「いいの、もっと知っていることがあれば教えて」
「甘いものが好きと言ってたな」
「他には?」
「そのぐらいだよ。翔とは最近話してないんだ。それ以上を望むなら他を当たってくれ」
一瞬真紀子の顔に「使えないわね」と書いてあったように見えた。
「ありがとう。もう帰っていいわ」
あまりに無愛想な態度に少し苛立ったが、それを口にするのも面倒なので言われたままに教室を出た。
三日後の放課後、部活に向かう翔を見かけた。久しぶりに声をかけようかと思い、近づこうとすると、一人の少女が翔に並んだ。肩の少し上で綺麗に整えられた黒髪が、真紀子のものだと分かるのに少し時間を要した。恋する乙女の行動力は計り知れないと知った。そんな乙女の邪魔は出来ないと思い、踵を返して駐輪場に向かうことにした。
自転車に鍵を差し込んだタイミングで春樹に声がかかった。声がした方に振り返ってみると、身長160センチほどの茶髪ショートカットの少女が立っていた。
「浜中君、今ちょっといいかな?話があるんだけど......」
「いいけど、田島さんが俺に用事なんて珍しいね」
「話せる人がなかなかいなくて」
どうやら親しい人には話しずらい話らしい。田島香織に案内されるがまま、中庭のベンチに腰掛ける。
田島香織との関係は顔見知り程度だ。クラスも違うし、出身中学校も違う。ではどこで知り合ったかと言うと、二学期から入った保健委員で一緒になった時に、挨拶をした程度だ。
「で、話って何かな」
「実は......」
田島の話には、正直驚いた。その内容は、田島は翔と付き合っていて、最近翔が別の女の子と仲がいいから困っているというものだった。
「で、その女の子の名前が知りたいの」
「ごめん、多分それ俺のせい」
「どういうこと?」
少し迷ったが、真紀子と翔をくっつける手助けをした事を伝えた。
「いいの、浜中君は私が付き合ってること知らなかったんだから。仕方ないよ」
「本当ごめん。俺から真紀子に言っておこうか」
「いや、それは私から直接言った方がいいと思うから。だから、真紀子さんの名字も教えて欲しいの」
「......分かった。名前は佐山真紀子。一年三組。」
「ありがとう。ごめんね、時間取らせて」
「いや、こちらこそ」
会釈すると、田島は駐輪場に向かう道とはとは別の道に歩いていった。ここにいても仕方が無いので帰るため、駐輪場に向かった。
さらに一週間後の昼休み。春樹は食堂で学食を食べていた。横に六人ほど座れるテーブルで、隣では女子達が何やら話している。気にしてしないふりをしながら
耳を傾けると、知っている人物の名前が上がった。その話の内容には、驚きを隠せず、思わずえっ、と声が出てしまった。
女子達の話の内容は、SNS上で佐山真紀子の事が話題になっているらしい。それも、佐山真紀子はヤリ目で、気に入った男子に色目を使って近づくというものだった。
真紀子は性格は少しきつい所もあるが、何事にもまっすぐなことを春樹は知っていた。それを言えない自分が恨めしい。
今真紀子は学校に来れていないらしい。一体誰がそんなことを。考えても分からないことに悩みながら食器を返しにカウンター横の返却口に向かうと、翔に話しかけられた。その目は自慢げで、嬉しそうだった。
「翔。どうしたんだ」
今はお前の自慢なんて聞きたい気分ではないのだが。と心の中で呟いた。
「春樹。聞いて驚け。なんとな、俺に彼女が出来たんだ!」
「え」
自分の顔が固まるのを感じた。
「相手は誰なんだ」
「やっぱり気になるか。これも聞いて驚け。男子の中でも人気の高い田島香織さんだ!」
君目線 雑虫 @kabityu
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