秋空に林檎は映らない

ゐか

秋空に林檎は映らない

 そこは別セカイだった。


『みんないなくなってしまえ』


 ガラスのように澄んだ青空。

 複雑に絡み合う電線のシルエット。

 もう少し目線を下げると、大きなトラックが絶えず行き交う交差点が見える。その向こう側とこちら側を結ぶ歩道橋の上を、やたらとカラフルなランドセルを背負う少年少女たちが歩いていた。誰に言われたからでもなく、自然と一列になって歩く……その光景は、昔遊んだゲームの、パーティーで歩く勇者たちみたいで面白かった。

 私はしばらくの間、子供たちをじっと眺めていた。笑いあって、幸せそうな姿。その景色は目の前にあるように見えるけど、ずっとずっと遠い場所で……無邪気な笑い声が、薄暗い部屋に響く……私はどこで間違えたのかな……確かに、私はあの中にいたはずなのに……あの子たちと、私のどこが違うのだろう?

 同じ人間なのに。

 不平等だよ。

 ねえ、神さま……

 不意に、列の中の一人……青いランドセルの男の子と目があった。いいや、目があったような気がしただけだ。

 怖い。

 私は咄嗟にカーテンを閉ざした。

 たったそれだけの出来事なのに、私の鼓動は狂ったように激しくなった。心臓が痛い。苦しい。無邪気な笑い声が、嘲笑に変わる。みんな、私のことを笑っている。責めている。

 自意識過剰だって?

 そんなことは分かってる!

 罪悪感とか、劣等感とか、或いはそういったのが全部ぐちゃぐちゃになった感情が、私の胸を深く抉っていく。

 カラスの鳴き声に混じる、子供たちの笑い声。酷く耳障りで、私はまた布団の中にうずくまる。

 煩い。

 怖い。

 消えてしまえ。

 みんなきっと私のことなんて見ていないはずなのに、どうしても、みんなが私のことを責めているように感じてしまう。

 私は病気なんだ。

 お母さんが言った通り、私は病気なんだろう。

 やがて、笑い声は聞こえなくなった。

 時計は午前九時を指している。目覚ましのアラームが鳴ったのは、三時間近く前だ。私は情けなくなって、熱くなった目をぎゅっと閉ざした。



 リビングのテーブルには、冷めてしまったトーストが、悲しげに取り残されていた。お母さんは仕事で、夕方まで帰ってこない。

 テーブルの端には、置き手紙が貼り付けられていた。


『昨日のカレーの残りがあるから、温めて食べて』


 テレビをつけると、お昼のニュースが流れた。十一時三十分。奇妙な感覚だ。いつまで経っても慣れない。ここは、みんなの知らない時間、みんなの知らないセカイ……。

 今頃、学校では三限目が終わって、お昼休み。中学生になってから私が学校に通ったのは、はじめの二ヶ月くらいで、もう半年くらい学校に行ってない。きっと、誰も私のことなんて覚えてないだろう。私も、クラスメイトの顔さえ思い出せない。


『ザー、ザーザー、ザー、ザー……』


 政治家とか芸能人とか、大して興味の沸かないニュースがモザイクのような曖昧さで連続し、そして、


『それでは、次のニュースです』


 ノイズだらけの音がいきなり鮮明になった。

 すっかり顔なじみになった、女性のニュースキャスターが言う。


『まずは、こちらの映像をご覧ください』


 暗転。

 自分の顔が画面に映った。

 次いで、


『心臓の弱い方は注意してください』


 とテロップが流れた。

 なんだろう……?

 相変わらず、画面は真っ暗。

 誰かの荒い息遣いが聞こえる。

 手振れが酷く、映像は絶えず震えている。ざわざわと木々の靡かれる音が僅かに聞こえ、撮影しているのが森の中だと分かる。


『何だったんだ、今の……』


 男性の声。

 何かが起こった後なのだろうか……?

 懐中電灯の淡い光に照らされ、闇を纏う木々の輪郭が鮮明になる。しかし、それでも視界の大部分は深い闇によって支配されたままだ。

 男性は歩き出す。

 カサ、カサ、と落ち葉を踏む音。

 それは男性の足音にしては、少し頻度が高すぎる。猿か鹿だろうか?

 そして、しばらく暗闇を進んだのち、


『う、うわああああああああ』


 悲鳴。

 断末魔と言った方がいいかもしれない。

 カメラが落下したようで、映像が反転する。画面は空を遮る木々の傘を捉えていた。


 まるで、出来の悪いホラー映画みたいだ。

 なんでこんな映像を流したのだろう?


 男の悲鳴が潰えたあとも、映像は続いていた。

 そして……。

 私の目は釘付けになった。

 画面が途切れる前の一瞬。

 それは写り込んだ。


 真っ赤な林檎の頭をした、人間のような何か。


 画面はニュースキャスターに戻った。


『ご覧いただいた映像は、先日、フジミヤガンタさんの所持する携帯電話から、SNSアプリに投稿されたものです』


 ニュースキャスターの女性は淡々と言葉を紡ぐ。


『昨夜、M県N市の山奥で、何者かによって殺害されたフジミヤガンタさんの遺体が、通りかかった登山者によって発見されました。遺体の腹部には、五十センチメートルほど肉を齧り取られた形跡があり、警察はSNSアプリに投稿された映像、特に、林檎の頭をした人物との関連性について調べています』


 その言葉と同時に、ニュースキャスターの声はまたノイズだらけの音に戻った。


『ザー、ザーザー、ザー、ザー……』


 私はテレビを消した。

 林檎。

 林檎。

 林檎……。

 なんだろう。林檎という言葉が脳裏に染み付いて離れない。

 のちに林檎星人と呼ばれるそれは、直径一・五メートルほどの林檎に茶色の細長い胴体が生えている、という何ともアンバランスで不気味な姿をしていた。

「ごめんなさい」と呟いて、一口だけ齧ったトーストをゴミ箱の底に押し込む。

 ソファーの上にうずくまった。酷い頭痛。吐き気がするけど、吐き出せるものがない。胃液が喉元まで這い上がってきて、ヒリヒリと痛む。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 壊れたおもちゃのように、私は同じ言葉を何度も呟いていた。

 何に謝ってるの?

 ……分からない。



 私は普通の人間だった。

 普通っていうのは、多分、毎日学校に行って、友達と一緒に勉強したり、遊んだりすることだと思う。確かに、私は普通だったんだ。

 けれど……小学三年生のとき、私はいじめっ子の女の子に目をつけられた。きっと、クラスの端っこで本ばかり読んでいた私は、悪口を言って気分を晴らすのにちょうどよかったのだろう。彼女は事あるごとに、担任の先生に私の非行を報告して(もちろんでっち上げだけど)、私が怒られているのを影から見て笑っていた。私はただ先生の前で泣いて謝ることしかできなかった。

 悔しくて苦しかった。でも、そのときは、私はまだ普通だった。

 親友がいたからだ。

 親友だった彼女はいつも私と一緒にいてくれて、励ましてくれた。辛いときは一緒に泣いてくれた。嬉しいときは一緒に喜んでくれた。

 彼女だけが、唯一の心の支えだった。生きる理由だった。

 そして、小学四年生のとき……。

 私は彼女を見殺しにした。私は……普通じゃなくなった。

 消えることのない罪。

 心に十字架を背負って、私は生きている。普通になんてなれない、なってはいけない、苦しまなくちゃいけない……幸せになっちゃいけない……苦しみ続けて、死んで、そしてようやく許される……。


 救いのときは来ない。



『今朝、K県A村の農道で、ササクラサクラさんの遺体が発見されました。遺体の頭部、腹部には肉を齧り取られた痕が残されており、県警は、熊などの肉食動物がサクラさんを襲った可能性も視野に入れて、付近の調査を進めています。また、死体発見現場の周辺では、林檎の頭をした不審者の目撃情報が多数報告されており、警察はM県での事件との関連性についても調査を進める方針です』



『林檎の頭をした人物を捉えた動画がSNSアプリ上に複数アップロードされ、全国的に話題になっています。ネット上では、林檎頭の人物は『林檎星人』と名付けられており、『キモカワ』、『ちょっと不気味……』などといった意見や、『これは地球外生命体による侵略だ』、『林檎による人類への復讐だ』などといった意見が、動画に寄せられています』



『昨日の昼十二時ごろ、T県F市の中心部に『林檎星人』が現れ、男性二人、女性一人が、腹部、頭部などを齧られ、死亡しました。その場に居合わせた目撃者によると、『林檎星人』は三名を殺害したのち、近くの路地裏に姿をくらませたようです。『林檎星人』による殺人事件は、今月だけでもこれで十五件目となり、警察は住民に注意を喚起しています』



『全世界で『林檎星人』による死者の数が一千万人を超えたと、昨日、日本政府が発表しました。臨時で行われた国際会議では、各首脳が『林檎星人』に対する対抗処置について意見を交わしましたが、具体的な方法は論じられず、『林檎星人』に対する議論は政府間の最優先事項であること、及び今後ともそれぞれの政府が可能な限り協力することを、各首脳陣は確認しました』



 そして、世界の終わりの始まりは、いささか唐突に訪れた。


 夥しい数の林檎星人が世界中に出没したのは、例の動画がニュースになってから、ちょうど半年が経ったときだった。

 林檎星人は空間の裂け目(異世界と呼ばれている)から唐突に現れ、次々と人を喰らった。

 ただ、喰うと言っても、齧り取られた肉は呑み込まれず、吐き出される。そもそも林檎なのだから喉なんてない。人を殺すためだけに、喰らっているようだ。

 それは、例えばコロンブスがアメリカ大陸を発見し、侵略者たちがインディアンを虐殺したときと似ている。いつだって、侵略者は先住民を殺す。強いものが弱いものを虐げる。自然の摂理だ。

 林檎星人は、その見た目に反して、とてつもなく硬い。銃や炎、ましてや包丁などでは一切傷がつかない。

 呼吸をするのか、何を摂取して生きているのか、出現する場所に条件はあるのか、なぜ人を殺すのか……まだ何も分かっていない。故に、対抗手段もなかった。

 人々は絶望した。

 林檎は、人間を恨んでいたのか?

 今まで、食べられるだけの存在だった林檎が……。


 言って欲しかった。

 恨んでいるなら……。

 そうならそうと言って欲しかった。

 だって、まさかそんなに恨んでたなんて、分かんないじゃん……。


 ……それが人間たちの総意だった。

 とある統計学者によれば、この調子で林檎星人の数がどんどん増えていけば、あと二ヶ月で人類のほとんどは絶滅するらしい。

 私は思い出していた。

 それは、昔、親友に告げた言葉だった。


『人間なんて、みんないなくなっちゃえばいいのに』


 現実になるなんて、思ってなかった。



 川に沿って山道を進んだ先に、ダムがある。麓から、歩いてだいたい二十分ほど。

 別に自殺の名所とか、そんなんじゃないけど、親友はそこから落っこちて死んだ。

 足を滑らせて、とか、そんなんだったと思う。忘れちゃったけど。

 あんまり、当時の記憶は覚えてない。

 一つ、覚えているのは、私が彼女を助けることができたこと。

 そして、私はそれを選ばなかったこと。つまり、彼女を見殺しにした。

 なんでかは分からない。

 もしかしたら、みんなにバレて怒られるのが怖かったから、かもしれない。

 助けなければ……そして、私が忘れてしまえば……誰も、彼女がダムに落っこちて死んだなんてことは分からない。私が一緒にいたってことも知らない。

 多分、きっと、そうなんだと思う。

 だから、彼女が死んだあとも、私は何も言わなかった。

 黙ってた。

 二週間くらいしたら、みんな彼女のことなんてすっかり忘れた。

 私は普通の生活に戻ることもできた。

 みんな、いなくなった彼女が私の親友だってことを知ってて、私に同情していたのかは知らないけど、彼女がいなくなってから私に対するいじめはなくなった。

 私は不登校になった。

 あのときから、みんなの視線が気になって、生きることが苦しくなった。

 いつだって、責められている気がした。

 知ってるぞ、お前が殺したんだ、……そんな言葉が、ずっと聞こえる。

 ああ、私は苦しまないといけない。

 死ぬほど苦しんで、苦しんで、死んで、

 そうして、ようやく許される。

 許される。

 ようや

 く、

 ……許さ

 れ

 る……。

 ……

 ……、

 苦しい

 苦しい


 苦しい、

 ……



 許してよ




「お願い……許して、許してよ……、お母さん!」


「あんたなんか、あんたがいるから……!」


 お母さんは私の上に馬乗りになって、何度も頬を殴った。


「病気なのよ、あんたは! いじめられて、ずっと家に引きこもって、ねえ、なんで普通にできないの? 普通に生きれないの? 私は……ちゃんとあんたを育ててきたのに! なんで? ねえ、答えなさいよ!」


 多分、世界の終焉とか、そんなので頭がおかしくなっちゃったのだろう。でも、きっと、吐き出される言葉は、全部本音だ。今まで必死に抑えてきた、本音なんだ。


「あんたなんか、あんたなんか……産まなきゃよかった……!!」


 お母さんはメモ用紙をぐちゃぐちゃに丸めて、私の口の中に押し込んだ。

 私は抵抗できずに、そのままメモ用紙を飲み込む。


「げほっ……、げほっ……」


「死んじゃえ、死んじゃえ」


「やめて、お母さん……」


 お母さんは私の首を両手で締める。必死に抗うけど、その手を解けない。お母さんの力ってすごいなって、私は思った。

 苦しい。

 私、死ぬんだ……

 そう思ったとき、お母さんの手から、急に力が抜けた。

 同時に、何か、滑りを帯びた温かいものが、顔に降りかかった。

 目を開けると、首から先を失くしたお母さんがいた。

 血が噴水のように飛び出していた。


「あ……ああ……」


 目線の先には、林檎星人がいた。生で見るのは初めてだった。

 林檎星人は、顔の林檎をぐにゃぐにゃと歪めて、お母さんの肉塊を咀嚼していた。真っ赤な鮮血によって、林檎は更に紅く輝いている。林檎星人はお母さんを食べ終えると、その肉を吐き出して、どこかへ去っていった。


 私は襲われなかった。


 なぜ襲われなかった……?


 林檎、林檎、林檎…………林檎なんだ、きっと。


 そうだ、林檎だ。


 林檎だったんだ……!


 そして、私は大切なことを思い出した。


 今まで忘れていた、大切なことだ。


 親友と私は、普通の友達以上の関係だった。


 それと、


 私の親友……、


 彼女の名前は、



『秋空 林檎』だ。





 私は走っている。

 かつて、私が林檎を見捨てた、山奥のダムに向かって。

 私は一つの仮説を立てた。


 林檎星人とは、私の親友だった秋空林檎なのかもしれない。


 林檎は、ダムに落ちたとき、多分、異世界に入ってしまったんだ。それで、林檎星人になった。

 私が林檎に告げた言葉……


『人間なんて、みんないなくなっちゃえばいいのに』


 きっと、林檎は私のために、それを叶えようとしている。林檎は、私以外の人間を、みんな殺すつもりなんだ……私の、自分勝手な願いのために。

 林檎を止めることができるのは、私しかいない。異世界から戻ってきた林檎を止めるためには……そして、このセカイを救うためには……私が彼女を説得するしかない。

 でも……確かに、私はみんながいなくなることを望んでいた。林檎がそれを叶えてくれるなら、それでもいいかもしれない。

 どうしたらいいのか、考えて、私は選んだ。

 正義感とか、そんなんじゃない。

 自分のせいでこうなった。

 だから……もう、これ以上、間違えるわけにはいかない。


 久しぶりの運動は思っていたよりもキツくて、私はヘトヘトになりながら、それでもダムに辿り着いた。

 あのときと同じ風景。

 深い緑に覆われた、巨大なコンクリートの塊。

 けれど、決定的に異なる箇所がある。

 私はダムの上から湖を見下ろした。

 湖の中心に、ぽっかりと黒い穴が空いている。

 穴は巨大で、まるで地球の裏側、あるいはセカイの果てまで繋がってそうなほど、深い闇に満ちていた。怖い。

 怖かった。

 でも、行かないと。

 私は、林檎に会わないと。

 そして、ちゃんと、謝らないといけない。

 ここで、林檎を見捨てたことを……。


「今、そっちにいくから」


 私は穴に向かって、ダムから飛び降りた。




 寒い。冷たい。

 そこは真っ暗な世界だった。

 何もない。

 苦しい。

 息ができない。

 私は必死にもがき続ける。


 光が、見えた。


 白い光。

 遠くにある光。

 私は光に向かって進む。

 そこに真っ黒な影がいた。

 なぜか分かった。それは林檎だった。

 私は口を開ける。

 でも、何かが詰まって、言葉が出ない。

『ごめんなさい』

 言えない。

 言えなかった。

 影は私の前に立ち、口を開けた。

『 』

 聞き取れなかった。

 何を言ったの、林檎……?

 突然、眩い光が世界を包んだ。

 影が消える。

 白。

 浮上。

 ……

 ……



 私の意識はそこで途切れた。





 ✳︎





 目が覚める。

 白い光。

 私は布団の上で横になっているみたいだ。でも、自分の部屋ではない。

 朧な視界の先に、お母さんがいた。


「柚子……!」


 私はお母さんに抱きしめられた。


「ああ、よかった! 本当に……」


 お母さんはぎゅっと私を抱きしめ、私はその胸に体を預けた。

 お母さんの隣には、真っ白な装束を纏う老婆がいた。皺だらけの皮膚から大量の脂汗を吹き出している。

 布団の四方に立てられた燭台の蝋燭が、ふわりと揺らめいた。何かが、終わったかのように。


「はあ、はあ……。間に合った、かい?」


 老婆は嗄れた声で言った。


「何が何だか分からない、って顔をしてるねえ。……まあ、仕方がねえさ。お前さんは三年もの間、ずっと眠ってたんだからねえ」


 ……眠っていた? 三年?


 私がきょとんとしていると、老婆は呵呵と笑って言葉を継ぐ。


「よく思い出してごらん。三年前、何があったのか。お前さんは、知っているはずだよ」


 知っている……?

 私は……確か、林檎を見捨てて、逃げたんじゃ……、


 ……

 ……、

 あれ……?


 そうじゃない。


 ううん、

 そうじゃなかった……!


 違和感が、少しづつ、解けていく……。


「柚子。柚子は、落ちたのよ。湖に。秋空林檎といっしょに。それで、三年間、ずっと眠っていた!」


 お母さんが言う。


 そうだ。

 覚えている。


 私は、確かに落っこちた。


 林檎と一緒に、湖に落ちだんだ。


「医者じゃあお前さんを覚ましてやることはできんかった。なんせ、身体には何の問題もないのだからねえ……。わしゃあ霊媒師じゃよ。お前さんにとり憑き、ずっと悪夢を見せておったのは、林檎、林檎じゃよ。もう少しで、お前さんは連れて行かれるところだった」


 えっ……?


 林檎が……悪夢を……?


 私は驚くことしかできなかった。だって、親友だった林檎が、私に悪夢なんて……。


「気の毒だがねえ……林檎は死んだ。お前さんだけが助かったんだ。……まあ、心配するこたあねえ。もう、林檎は、お前さんの中にいない」


 老婆は言った。


 私はまだ混乱していた。

 何が何だか、分からない。

 全部、夢だった……? ダムで林檎を見殺しにしたこと、林檎星人が人間を次々と殺したこと、お母さんが死んだこと……全部ぜんぶ…………夢……


「もう大丈夫よ、大丈夫だから、柚子……」


 お母さんが私の背中を撫でる。


「ごほっ、…………ごほっ、ごほっ」


 私は噎せた。何か、喉の奥に詰まっているみたいだ。


「大丈夫……?」


 お母さんが心配そうに言う。

 喉の奥に手を入れる。

 何かが、あった。


 紙だ。


 指先で摘んで、吐き出した。

 唾液でドロドロになったそれは……


 確か……、


 お母さんに馬乗りにされたときに、喉の奥に押し込まれたメモ用紙だった。


 ゆっくり開いてみる。

 そこには、熟れた林檎のように真っ赤な文字で、一言だけ。




『お前も死ね』



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