第二章

第65話 二人の気持ち

「別れたって? 」

「らしいよ。ほら、一緒に座ってないじゃん」

「長くもったほうなんじゃない?」


 二年になり、麻衣子と慧は可能な限り同じ講義を受講していた。まさか、別れるとは思ってなかったから、少人数のゼミなども同じものをとっていた。


 お互いに、部屋を出てから一度も話していない。

 麻衣子はまだ新しい部屋が見つからず、美香の部屋に間借りさせてもらっていた。なので、荷物などはまだ慧のマンションに置きっぱなしだ。


「じゃあ、徳田さんフリーなんだ?! 俺いってみよーかな? 」

「バッカ! おまえなんか相手されっかよ」

「だって、松田がいけたんだぜ」

「……だな。俺もチャレンジしてみようかな」


 ボソボソと話される会話が、嫌でも耳に入ってきて、慧のイライラがマックスになる。

 まだ講義前だと言うのに、慧は荷物をまとめて席を立った。


「松田、どこ行くの? 」

「喫煙所」


 同じ講義をとっていた佐久間が、慧に声をかけたが、慧は不機嫌に答えただけで教室を出て行く。

 そんな慧の後ろ姿を、不安げに麻衣子が見つめていたが、それには気がつかなかった。


 校舎を出て、喫煙所に向かった。慧はごくたまに、酔っぱらった時だけ煙草を吸っていたが、最近は普段でも吸うようになっていた。


「松田、荷物持って帰るの? 」

「知んね。とりあえず一服してから決める」


 教室を抜け出した慧を追うように出てきた美香は、自分も煙草に火をつける。


「あれ? おまえも吸ったっけ?」

「まあね。で、まいのことどうするつもり? 」

「知らねえよ。俺がどうにかできるもんじゃねえだろ。あいつから別れるって出て行ったんだから」


 慧は、ため息と共に煙を吐き出す。


「とりあえず、新しいアパート探してるけど、色々文句つけてストップさせてるよ。あんた、不倫相手とまいと、どっちが大切なのよ? 」

「ああ? なんで不倫って……」

「拓実先輩が、見たらしいじゃん。左手の薬指に指輪してたって言ってたよ」

「めざといな」

「あんたって、本当、見境ないよね」

「うるせーよ。第一、もう会ってねえし」


 慧は、麻衣子が出ていってから三週間強、清華からの連絡を無視し続けていた。

 最初はしつこいくらいにメールやら着信やら届いていたが、しだいに一日おきになり、ここ三日は静かなものだった。


「そうなの? 」


 慧は、面倒くさそうにスマホを操作すると、美香に向かって投げてきた。


「見れば? 」


 ラインの記録が残っており、確かになんで連絡に出ないの? みたいな内容が続いていた。


「着信も見るか? 不在がごっそりだぞ」

「いいよ。ふーん、反省してんだ。もしさ、もしだよ、まいがやりなおしてもいいって言ったら、松田はどうする? 」

「知らね。付き合うのもめんどいしな……」

「あんたが言えた義理? 」

「聞いたのはおまえだろ? 」


 美香は慧にスマホを返すと、この男はしょうがないな……と、慧を見つめる。


「知ってる? 二年になってから、麻衣子けっこうコクられてるんだよ」

「はあ? まだ新学期になってから一週間じゃねえか? 」

「そう。あんたと別れたって噂が拡散したみたいでね。でも、今のところ全部断ってるみたいよ」

「ふーん」


 興味なさげに振る舞いながら、煙草に口をつける回数が増えていて、落ち着きなく太腿にのせた手が動いていた。


「とりあえずさ、きっちり不倫女とは縁を切って、まいともう一度話してみたら? 」

「考えとく」


 美香は、煙草の火を消して灰皿に捨てると、よいせと立ち上がった。

 本当は、慧と別れた方が麻衣子のためだとは思っていたが、麻衣子がもう少し慧の行動を見て、できればよりを戻したいと言っているのだから、美香が何を言っても無駄だろう。


「講義は出た方がいいよ。また会ってるんじゃないかって、まいは思うかもだしね」

「……」


 美香がそれだけ言い残して喫煙所を離れると、慧は二本目の煙草に火をつけた。

 ゆっくりと煙草をくゆらし、どうにもすっきりしない頭で考える。


 麻衣子のことは好きだ。

 もちろん、浮気はしたが別れるつもりなんかなかった。

 ただ、別れてみるとそれでもいいのかな……と思う時が正直ないわけじゃない。

 今は他の女と会ってはいないが、以前みたいに、好きな時に好きな相手とヤるだけの関係ってのは気楽でいい。


 でも、じゃあ麻衣子に他に彼氏などができて、穏やかでいられるか……と聞かれると、絶対無理!と断言できてしまう。

 教室の奴らが麻衣子にアプローチしようかって話していただけで、カリカリしてしまうのだから。


 慧は短くなった煙草を最後に吸い込み、煙を吐き出しながら灰皿に押し当てた。

 喫煙所から出て足が向かったのは、校門ではなく教室方向だった。


 その頃、美香は喫煙所で慧と話したこと、慧が見せてきたスマホの内容について、事細かに麻衣子に報告していた。

 麻衣子の表情は柔らかくなり、慧が教室に戻って席についたのを見て、さらに笑みが浮かぶ。


 やはり、どうしても慧のことが好きなのだ。

 刷り込み現象と似ているかもしれない。初めての相手というだけで、麻衣子には慧が最高の恋人に見えてしまう。

 冷静な他人からしたら、最低な相手にしか見えないのであるが……。

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