第27話 天使か悪魔か。
クアロは、困った顔をしてルアンを見下ろす。膝の上に頭を乗せて、ルアンは眠っていた。
揺れる馬車の中だというのに、ルアンはすやすやと眠っている。子どもらしい寝顔だ。
「本当、どこでも寝ちゃう子ね」
ルアンを起こさないように、クアロは呟く。
「これから囮やるっていうのに……オレなんて昨日あんま寝てねーぞ」
隣から覗くシヤンも、声を潜めて言う。
「プレッシャー感じてるのは私達だけ。ルアンはもうこの試験のあとのことを考えてるし。いつでもどこでも、寝ちゃうのよ、この子」
はぁ、とクアロは溜め息を漏らす。
ルアンはところ構わず眠れる。木の根元でも、木の上でさえも、器用に眠るのだ。
「ルアン様も、プレッシャーを感じているはずだ」
木箱の上に書類を並べて見直すゼアスチャンが、会話に参加した。
「だが、それに動じない強さをお持ちなのだ」
緊張にも動じない強さ。クアロやシヤンのように、顔色を変えず、そして胃痛も感じない。
二人の方がプレッシャーに弱いということで、クアロ達は口元をひきつらせた。
「あ、あの、ゼアスさん? ルアンに頼まれたこと、本気でやるつもりなんですか?」
ゼアスチャンが漸く口を開いたところで、クアロは恐る恐ると問う。
「ルアン様の命令は受けた。クアロ達もそうだろ?」
ゼアスチャンは、しれっと返す。
「え、ええ、まぁ……ルアンは譲りませんから。私達がフォローしないと……」
クアロは、レアンから直々にルアンの護衛を命じられている。
クアロとシヤンではルアンの意思は変えられず、結局指示に従った。ドミニクを馬車から落とし、ゼアスチャンを説得する時間を作ったのだ。
「本当にルアンに、ベアルスを任せていいのですか?」
「今回の標的は、子どもを誘拐する趣味を持つが、子どもに危害を加えたという情報はない。だからレアン様も、この囮作戦の決行をお決めになったのだ。標的がルアン様を殺めるようなことは低い。ルアン様を招き入れた時点で、油断している。ルアン様のギアならば、一撃で決まる可能性は高い」
ゼアスチャンは、勝算があると答えた。だから、ルアンに任せられる。
「まー、ルアンのギアなら上手くいきそうですけど、相手の人数がわからないとやっぱり不安です」
「そのためのお前達だ。ルアン様と直ぐ様合流して護衛をするんだ」
首を傾げながら意見を言うシヤンに、ゼアスチャンが静かに告げた。
いつの間にか、声を潜めることを忘れてしまったせいで、ルアンが目を覚ます。目を開いて、そっと背伸びをした。
「作戦を練り直しましたか?」
欠伸をして起き上がったルアンは、ゼアスチャンに問う。クアロはそっと髪とドレスを整えてやった。
「はい。ルアン様」
ゼアスチャンは、胸に手を当てて丁寧に返事をする。
すると、ルアンはゼアスチャンの元まで歩み寄ると、ゼアスチャンの左膝に座った。そしてその作戦を早く話せと言わんばかりに、右膝を叩く。
ルアンの行動に、クアロ達は唖然。ゼアスチャンも固まった。ルアンだけはまだ眠たそうに欠伸をして、ゼアスチャンの胸に凭れる。
「……。作戦ですが、私達の待機場所を1ブロック先に変更し、早く駆け付けられるように致します。アジトを見付け次第、シヤンとクアロを中に入れたあと、私が氷のギアで周辺に壁を作り隔離します。それでトラバー達の足止めをします。しかし、トラバー達をそう長く足止めを出来ません。迅速にベアルスを確保して、アジトを脱出してください。ベアルスの部下は、トラバー達にあてがいましょう」
ルアンが眠っている間に、練った作戦をゼアスチャンは淡々と告げた。
「そうですか。それでいいです。ベアルスを確保して、なるべく早く脱出します。屋敷か地下か……どんなアジトかはわからないけれど、外を目指します」
ルアンも、淡々として頷く。
「クアロ、シヤン。建物の中には入らなくていいから、外で待機して」
「ええ、わかった」
「りょーかい」
クアロとシヤンは、ルアンの指示に返事した。シヤンは深呼吸しながら、ネクタイを緩める。クアロも緊張を和らげようと自分の胸を擦った。
ゼアスチャンの膝から立ち上がると、ルアンは背伸びをする。
「もう着く?」
「はい、そろそろです」
答えるとゼアスチャンも立ち上がり、ガリアンのコートを脱ぐ。スカイブルーの背広を着ると、ネクタイを直した。
「精鋭部隊を出し抜く作戦は立てたけど、先ずはルアンが誘拐されなきゃいけないじゃない。自信はあるの? ルー」
落ち着けず、クアロも立ち上がる。
「情報によれば、定期的に子どもは誘拐されていた。でも身を隠してから、子どもは誘拐されていない。街の住人の警戒があるせいだろう。ベアルスのために子どもを調達したい部下は、一人で彷徨くあたしに目をつける」
ルアンはくるりと回り、髪とドレスを舞い上がらせてから答えた。
「釣り上げてみせるわ」
自信はある。
ドレスを摘まんで、ルアンは会釈をした。
少年の姿のルアンを見慣れてしまったクアロとシヤンは、その仕草に戸惑う。慣れていないのだ。
「黒いコートを着ていると大人びて見えたけど、そういう格好すると子どもらしく見えるじゃん」
ルアンは二人を見上げて言った。
――それはこっちの台詞なんだけど。
クアロの服装は、深緑のズボンとブーツ。Yシャツの袖は捲り、ベストは黒。ネクタイはなし。仕上げにハンチングを被った。
隣にしゃがんでいるシヤンは、7分丈のズボンとブーツ。サスペンダーをつけていて、蝶ネクタイもつけている。同じくハンチングを被った。
いつもと違う格好なのは、お互い様だ。年相応の格好。
「子ども言うな。あと二年で成人よ」
男性は十八歳が成人。女性は十六歳が成人。結婚が許される歳だ。
「あたしは十年で成人」
「遥か遠くでしょ」
どや、と決め顔で胸を張ったルアンに、クアロはツッコミを入れる。
「それに、十一年でしょ」
「……」
クアロが細かい指摘をするが、ルアンはただ顔を背けた。
「成功したら、ぱぁーって祝いたいな。酒飲みてぇ」
「二年後でしょ」
シヤンが漏らすと、ルアンはツッコミを入れて、木箱に座る。
「私が手配いたしましょう。ルアン様のガリアン入隊祝いを開きましょうか」
「いらない」
「……はい」
ルアンの隣からゼアスチャンは提案したが、ルアンは素早く一蹴した。
そこで馬車が止まる。
目的地、オルニリュンに到着だ。
他の精鋭部隊が乗る馬車は、街の反対側に向かいながら、一人ずつ降りる予定だ。
街の中心には噴水広間があり、そこから通りが五つあって、街の出口まで伸びている。噴水広間から約50kmの位置のそれぞれの通りで待機をして、合図を待つ予定だ。その範囲に、アジトが必ずある。
クアロとシヤンは、先に降りて周囲を確認した。通りから外れた路地。人は見当たらない。誰にも目撃されていないことを確認したあと、ルアンを馬車から降ろす。
「ちょ、ルー!?」
ルアンは一人で勝手に歩き出して、通りを歩き出した。クアロが止めようと追いかけようとしたが、ゼアスチャンが腕を掴んで止める。
「距離を保て」
ルアンが拐われやすい状況を、演出しなくてはいけない。作戦は始まった。
グッ、と堪えてクアロは、少し待ってから路地を出る。
エメレンダという名の通りは広い。犯罪組織が大人しくしているおかげで、街は賑わいを取り戻していて、人が多く行き交っていた。
小さなルアンを見失わないように、クアロとシヤンは注意を払う。
ルアンは、一見観光をしている少女に見えた。実際、ルアンは観光を楽しんでいるのかもしれないとクアロは思う。
キョロキョロと街を見上げて、中心部に向かって歩いていた。
エメレンダ通りには、数多くの宝石の装身具の店が並んでいる。
通りに商品を出している店もあり、客は足を止めて覗く。ルアンもその客に混ざって覗いた。外に並べる商品は、どれも手軽に買える安い宝石のアクセサリーだ。
気になる店の商品を覗きながら、ルアンは歩いていく。馴染みそうな行動だが、ルアンは浮いていた。
何故なら、幼い子どもが一人でいるからだ。
店の店員も、すれ違う人も、ルアンに気付くと心配そうな眼差しを向ける。
正午を知らせる鐘が鳴り響いた。予定では、精鋭部隊も待機を完了したはず。いつでもルアンの合図で動ける。クアロとシヤンの緊張は高まった。
飲食店は混み始めて、ルアンはそれを避けるように進む。誰かを捜すように、キョロキョロと顔を動かして、髪を靡かせる。
「くーっ、もどかしいなぁ、おい」
シヤンが耐えきれず、漏らす。
「こっちだって、もどかしいわ。こんなに離れるなんて……」
クアロは声を潜めて、言葉を返した。誘拐されないようにルアンの子守りをしてきたクアロの方が、もどかしい気持ちになっている。目の前でルアンが拐われることを、待っているのだから。
「足を止めろ」
数十分後、ゼアスチャンの声を耳にして、クアロ達は足を止める。クアロもシヤンも、商品が並ぶテーブルの前に立ち、周りを確認した。
「二分前から、ルアン様を追っている二人組がいる」
横のテーブルで商品を見る素振りをしながら、ゼアスチャンは教える。
三つ先のアンティークの店を覗くルアンを、足を止めて見ている二人組の男がいた。明るい赤毛とブロンド、どちらも柄つきのシャツを着ている。
ベアルスの部下だろう。
「慎重にしろ、バレたら台無しだ」
ゼアスチャンは釘をさす。ルアンが罠だとバレてはいけない。クアロとシヤンは、二人組から目を逸らす。
「ちょっとお嬢ちゃん!」
クアロ達の耳にも、その年配の女性の声が届く。ルアンに向けられたものだ。
アンティークの店の隣に、花屋があった。その店長らしいふくらかな体型の女性が、慌てた様子でルアンに話しかける。
「ご両親はどこだい? なんで一人でいるの?」
「あ……えっと、迷子、です」
ルアンは花屋の店長を見上げて、自信のない声を出す。
「初めて来る街だから、一人で歩いちゃって……はぐれてしまって……」
「早く見付けなきゃ! 一人でいちゃだめだ。どこではぐれたの? 送ってあげる」
ついにルアンを心配した住人が、手を差し伸べた。
――まずい。台無しになる。
クアロは焦り、ゼアスチャンに目を向けた。しかし、ゼアスチャンはなにもするなと掌を見せる。
「お嬢ちゃん! 迷子ならお兄さん達が捜してきてあげるよ!」
すると、ブロンドの男が割って入るように話しかけた。花屋の店員はギョッとする。
「い、いいんだよ、あたしがっ、ひっ!」
ルアンを守ろうとした店員を、赤毛の男が睨んだ。店員は怯えて店の中へと逃げた。
――奴らだ。
クアロは確信する。
ベアルスの部下が、餌に食い付いた。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「ルアンです」
「可愛い名前だね。どこから来たの?」
「お隣のオールンから、両親と来ました」
「そうなんだ。こうしよう、友達が両親を捜してくるから、お兄さん達の家で待ってて。いいかい?」
笑顔で提案するブロンドの男は、手慣れていた。
ルアンは首を傾げて、少し迷う素振りをする。
「お母様とお父様を、見付けてくれるのですか?」
「ああ、もちろんだよ」
それを聞いたルアンは、ホッとしたような微笑を溢した。
「ありがとうございますっ」
頬は嬉しそうに淡いピンクに染まっていて、翡翠の瞳は優しげに細められた。それは、まるで天使のような美しい笑み。
クアロとシヤンが見たことのないものだ。一瞬、ルアンとよく似た外見の別の少女かと疑った。
ルアンの演技は、それほど完璧だった。両親と来て、はぐれてしまったお嬢様。
「ベアルスさんが喜ぶぞ……」
二人組の男は、顔を合わせる。ベアルスの好みである美しい少女を手に入れた。
「じゃあ家まで案内するよ」と二人はルアンの手を取り、歩き出す。
すると、ルアンはクアロ達を振り返る。ニヤリ、と口元をつり上げて、目を鋭利に細めた。
ほら、簡単に釣れた。と言わんばかりの表情。
天使の笑みから、悪魔の笑みに一変。天使の笑みは、初めからなかったかのように跡形もない。それにクアロとシヤンは震え上がった。
――天使の皮を被った悪魔だっ!!
無垢な子どもではない。美しい少女の姿を悪魔だ。
絶対にそうだと、クアロとシヤンは戦慄した。
2人組は、悪魔の手を引いているとも知らず、アジトへと向かう。
「尾行はするな。我々も、待機するぞ」
「……はい」
ゼアスチャンに返事をしてから、クアロはルアンから目を逸らす。
慎重な彼らは、アジトに行くまで注意深く周りを見るはず。尾行はバレてしまう可能性が高いため、しない。だからこそ、ルアンを見送る。
緊張はいっそう高まるが、一方では成功も確信した。
ルアンならば、暗殺すらも可能だろう。不意をついて、ベアルスを倒せるはずだ。
合図で、ルアンの元に駆け付けて、守る。敵地にいるルアンを救い出す。
それまでの辛抱だ。ルアンの身を案じて、不安が渦巻く胸を押さえて、クアロは息を深く吐いた。
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