有限の刻

 静まり返った縁側。風鈴の音が響いて、肌にじっとりまとわりつく夏の暑さは少し不愉快だけど、でも今はそれも愛おしい。

 風鈴の音が心地いいのだけど、少し残念なことに鞍馬のイビキも時々混ざっているのは……しょうがないか。


 妖狐は鞍馬と虎太郎とは別の部屋で今日は泊っていくことになっていたから、ぐっすり眠っているやんこちゃんとてんこちゃんを抱きかかえて別部屋で休んでいる。やこも私と一緒の部屋に寝泊まりをするから、もう休んでもらっている。


 それで、私は幸之助と一緒に二人で飲み直しをしていた。


「ね、これ。綺麗でしょ?」

「そうですね。これは東京にあるんですか?」

「あ~、違う違う。ここは鎌倉。この海は湘南って言う場所にあるの」

「鎌倉と言う場所があるんですか。風情があってとても良い雰囲気の場所ですね」


 幸之助と寄り添って、私のスマホに収めた写真を見ている。

 彼はここから離れた事がないからか、見るものにとても興味津々で質問が止まらない。


「ここでさ~虎太郎が波とじゃれてて、大きな波に逃げ遅れて全身ビショビショになって子供みたいだったんだよ」

「……」


 私は思い出し笑いをしながらそう言うと、幸之助は突然黙り込んだ。私が不思議に思って彼を見上げると、彼は耳をぺたりと倒してぷいっと私から視線を逸らした。


「幸之助?」

「……私は、虎太郎殿のように自由にあちらこちらに行けないのが、残念で仕方がありません」


 焼きもちと言うか拗ねていると言うか、そんな表情を浮かべる幸之助に私は不覚にも嬉しくなってしまった。彼は彼なりに真剣に考えている事なのに、そんな顔してくれるんだって思ったら胸がキュンとしてしまう。


「幸之助」

「?」

「再来年からはずっと一緒だよ」


 私はそう言って彼の腕に自分の腕を絡め、にこやかに微笑んで彼の顔を覗き込んだ。すると彼はこちらに目を向けて耳を立て、顔を赤らめながら戸惑いを隠せずに狼狽えていた。


「か、加奈子殿……」

「ずーっと、ずーっと一緒。私はここで幸之助と一緒に暮らしていくわ。どこにも行かない。あなたの傍にいる。死んでも一緒! ね?」

「……」


 私は口元に笑みを浮かべたまま、でもその目は至って真剣に幸之助を見つめると、彼は赤い顔のままきゅっと口を引き結んで私を抱きしめてきた。

 優しくて温かくて柔らかい幸之助の抱擁に、私もそっと抱きしめ返す。


「その日が、もうすでに待ち遠しくて仕方がありません。あなたが私の傍にいて下さるなんて、夢のようです」

「夢じゃないよ?」


 くすくすと笑いながらそう答えると、幸之助はぎゅっと私を抱きしめる腕に力を込めた。


「真吉さんからずっとずっと続いているこの縁は、ようやくここでまた一つに収まるの。もうあなたが寂しい思いをしなくてすむように、もっと多くの人達に幸せになってもらうように、私はこれから先も一緒にずっとここにいるからね」


 そう呟いて何気なく視線を上げると、そこにはとても綺麗な月が浮んでいた。

 真吉さんが最期に見上げた月はこんな綺麗には見えなかっただろうな。もっと冷たい、無情なだけだった月に見えたに違いない。でも、今はとても優しくて暖かい光を注いでくれているような、そんな気がした。


「あ。そう言えば」


 私が何かを思い出したように体を離すと、幸之助は不思議そうにこちらを見て来る。


「お彼岸、あるでしょ。真吉さんのお墓参りをしたいんだけど……」

「墓参りですか?」

「うん。去年はそんなこと思いもしなかったけど、今年からはちゃんとお参りしておきたいなと思って」

「……」


 すると幸之助は黙り込み、何かを考えるように口元に手を当てて視線を逸らした。そんな彼の姿に今度は私が首を傾げる。

 何かまずいことでもあるのかしら……。いや、でも待って。当時の真吉さんの状況を色々鑑みたら、もしかしたらお墓が無いなんて事もあり得るんじゃ……。


「も、もしかして、お墓……無い、とか?」

「あ、いえ……あるにはあるんですが……」

「?」


 あ、あるんだ……良かった。


 おヨネさんが村の人達の手を借りて真吉さんを弔ったと言う事は分かっていたけれど、でもそれすらも村の人たちは適当にあしらった可能性だって考えられたから、もしかしてと思ってドキドキしちゃった……。


「今は無縁仏になっています。私が毎年花と水を備えてはいるんですが……」


 それを聞いて、私は「それもそうか……」と妙に納得してしまった。

 真吉さんが生きていた時代、真吉さんはこの辺りではそこそこな家柄である武家に産まれたけど、そこまで大きな家じゃなかった。しかも武士と言う稼業を継がなかっただけじゃなく、勘当されてしまった真吉さんに黒川家を継ぐ人がいなくなってしまって、結局潰えてしまったんだものね。


 まぁ、私が黒川の血を引いているから完全に潰えたわけじゃないんだろうけど、実質的に無くなってしまったんだ。だからお墓を世話する人が途絶え、今じゃ無縁仏になってしまっているに決まってる。これじゃきっと真吉さんも本当の意味で報われないわ。


「幸之助。だったら尚の事私お墓参りに行きたいわ」

「加奈子殿」

「私は真吉さんの子孫だもの。ちゃんと会いに行きたいし。それから、これからは黒川家のお墓は私が守るわ」


 私がそう言うと、幸之助はとても嬉しそうに顔を紅潮させ、その目に涙を滲ませた。

 その様子を見て幸之助の真吉さんへの愛は変わらずそこにあって、私も嬉しかった。


「……本当に、真吉殿の子孫があなたのような人で良かった」


 幸之助は耳を垂れてぽろぽろと涙を零した。

 思ったより幸之助って泣き虫よね。まぁそれだけ情が厚いって証拠なんだろうけど。

 私は持っていたハンカチを手渡しながら真吉さんの話に触れた。


「ねぇ、真吉さんはお酒好きだった?」

「はい。ただいつも飲めるわけではなかったので、もっぱら寄相神社のお祭りの時だけでしたが……」

「そっか。確かお祭りって11月にあるんだったよね。でも、そのお祭りだけしか飲めないんじゃ可哀想だものね。お供えにはお水と一緒にお酒もしなくちゃ。あと必要なのは榊と仏花と……」


 そう言えば、最近の仏花は何でか赤いカーネーションが一緒になってることが多いのよね。そもそも仏花にカーネーションってどうか思うんだけど。日持ちもしなくてすぐ枯れちゃうし。単に色合い重視なのかなぁ……。

 

 私があれこれ考えていると、幸之助がじっと私を見つめていることに気付いて振り返った。


「加奈子殿」

「ん?」


 不思議に目を瞬くと、幸之助は手を伸ばしてきて私の両肩に手を置くと私の額に唇を寄せてきた。


 な、ななななな何、急に!?


 私が赤い顔をして困惑していると、幸之助はとても優しい目をして笑い、私の手を握り締めた。


「やはり、私はあなたの事を心からお慕いしているんだと改めて感じました」


 突然の告白に、私は全身が熱くなった。けど、その次の言葉にその熱も冷めてしまった。


「……けど、あなたとの時間には限りがある。あなたには長い月日も、私たちにはほんの僅かな時間でしかない。その限られた短い時間の中で、私はあなたと共にいて、あなたの為にしてあげられることがどれだけあるのだろうと思うと、本当は焦ってしまうんです。叶わないと思っても、私はあなたと夫婦めおとになることさえ、夢見ています」


 力なく微笑むその幸之助の少し寂しそうな顔に、言葉が出てこなかった。


 幸之助はそこまで考えてるんだ……。でも、私たちの間にある有限の時は彼にはあまりに短すぎて、それすら望めないでいる……。

 皆を幸せにする前に、私、目の前の彼を幸せにしてあげられるのかしら。目の前の彼を幸せにしてあげられないで、他の人を幸せにする事なんて出来る?


 私はもう一度彼をぎゅっと抱きしめる。


「時間なんて、関係ないじゃない。問題はどれだけ楽しく一緒に過ごせたかだと思わない? それに、今終わりの事まで考えるのは早すぎるわ。まだまだやることややらなきゃいけないこといっぱいあるんだもの」


 努めて明るくそう言うと、幸之助は小さく笑って頷きながらもう一度私を抱きしめた。

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