馴れ初め

 お福は親のせいで後ろ指を指されていることは十分承知の上だった。ただ、それでも彼女は両親を憎むことはなかった。真吉たちの生き方を分かっているからだ。

 ここを守り、幸せにしたいと願う真吉を死ぬまで添い遂げ支えると誓うおヨネ。二人の気高い心意気はお福にも備わっている。例え評判が良くなかったとしても、自分は両親の意志を継ぎ強くあろうと、物心ついた頃にはとうに覚悟が出来ていた。


(うちはとと様とかか様のように、強くなければいかん。二人がどんだけ立派な人なんか、何も知ろうとせんような周りの人の言葉なんぞに、うちは絶対振り回されたりせん)


 ぎゅっと歯を食いしばり、自分の心に喝を入れる。

 お福は頼まれた買い物を済ませ、抱えるほど沢山入った風呂敷を持って家路へ着こうとすると、先ほどの商人の周りには女性ではなく役場の侍たちに囲まれているのに気付いた。


「おんし、ここで商売をする言う届は役場に出したんか」

「あれ? 出したと思うたんですが、出てませんでした?」

「出とらん! 許可もなく商売するがは、罰則に値すると知らん訳やないやろう!」

「えぇえぇ、そりゃあもちろん知っとります」


 役場の侍に怒られていると言うのに、商人はまるで反省した色を見せていない。それどころか、女性に向けて売っていた化粧道具とは別の包みを取り出し、侍の前に差し出していた。


「それよりお侍様。良かったらこれ、一冊どうです?」

「な、何や……」

「実はこれ……江戸で有名な絵師が書いた春画ながです。この辺やったらまず手に入れることは困難な代物ですよ。ほら、これ見て下さい。こんな綺麗な春画珍しいくらいですよ? ほんまは一冊5文頂きたいところやけんど、ここで見逃してくれたらタダで持って行ってもらって構いません」


 パラパラとわざとページを捲って見せる旅商人に対し、そこに書かれている春画のあまりにリアルで美しい絵に、侍たちは小さくくぐもったような声を上げていた。


「……し、仕方ない。今回ばかりは見逃す。けんど、次はないぜよ!」


 そう言いながら春画を奪い取り、着物の合せの奥に大切にしまい込みながら周りをキョロキョロと見回す侍の何と滑稽なことか。

 旅商人は「おおきに!」と両手を擦り合わせて、ただただにっこりと笑っている。


 役人と言いう立場にありながら、なんて浅ましい姿やろう……。


 お福はまるで汚いものを見るような目で一連の流れを見つめていると、侍が立ち去ったのを見届けてから旅商人はお福に声をかけてきた。


「お姉さん」

「……っ!」

「ちっくと話でもしませんか?」


 にっこり笑う旅商人の優しそうな目元に、お福は躊躇った。

 決して美青年とは言えないごく普通の顔立ちをした旅商人だったが、その少しばかり幼さの残る優しい目が、なんとも魅力的に見えた。


「なぁに、時間はそんな取らせません。すぐ済みますきに」


 お福は視線だけをさ迷わせ、おずおずと旅商人の傍に近づく。すると、旅商人は懐に手を差し入れ、先ほどの割れてしまった紅を取り出した。


「これな。もう売りもんにはならんき、こんなんになってしまってて良かったら、貰ってくれんやろうか? もちろんお代はいりません」

「え……で、でも……」


 躊躇うお福に、旅商人はすっと真面目な顔になり彼女を見つめ返す。


「……周りがどう言おうと関係ない。女子はみんな綺麗になりたいもんやろ。人の事をとやかく言うんは、それだけ自分の了見が狭い言う事の現れ。どんな環境にお姉さんがおるかは手前の知るところにないけんど、当たり前に持っとる女子としての心情、無くしたり目を逸らしたらいかんぜよ。……かくいう手前も、とやかく言うとるやろ! 言われたらそうながやけんどねゃ」


 真剣なまなざしを崩し、ふざけたような口振りで笑って見せるその言葉を聞き、お福は彼の温かさに思わず泣きそうになった。

 涙に滲むその目で見上げられた旅商人は、戸惑いながら視線を逸らす。


「ま、まぁ、そう言うことやき。これ、黙って持って行きや」

「……あ、ありがとうございます」


 そっと手渡された紅を、お福は嬉しそうに頬を染めて大切に胸に抱きしめる。


「あの、お名前は……? 私はお福と申します」

「あ~……別に名乗るほどの者やないですけんど……」


 後ろ頭を掻きながらそう言うが、お福の眼差しを受けると名乗らないわけにはいかない気持ちに駆られる。困ったようにまごまごとしながら、視界を何度かさ迷わせた。


「え~っと……九……九兵衛と申します」

「九兵衛さま……」


 名前を聞くことが出来、お福はとても嬉しそうに顔をほころばせた。


「あの、九兵衛さま……いつまでこちらにおられるがです?」

「しばらくはおるつもりです。次の仕入れに出向く前に、一旦家にも戻ろうと思うてますきに」

「ほんまですか? あの……良かったら、またお会いしとうございます」

「え?! あ、いや……そりゃあ構いませんけんど……」

「ほいたら、あの、また明日……ここで……」


 お福は恥ずかしそうに頬を染め、九兵衛との次の約束を取りつけると気恥ずかしそうにその場を後にした。


 お福と九兵衛との出会いはこれが最初だった。

 初めは九兵衛の相手を想う心根の優しさと、きっぱりと「悪いことは悪い」と言ってのけるその心意気に惚れたお福の片思いから始まったが、それから二人は幾度となく逢瀬を重ねながら愛を育み、そして結婚を意識するようにさえなっていったのだ。


 真吉もおヨネも、そんな二人の事をとても歓迎していた。

 旅商人と言う不安定な職ながらも、お家柄も気に留めず九兵衛の人となりに惚れこんだのはお福だけではなかったと言う事になる。


「お家がどうのとか仕事がどうのとか、そんなんは関係ない。そんなんは普通でかまんと思うちゅう。ちゃんと家族を食べさせていけるだけ稼げちょったらそれ以上のこたぁわしは言わん。一番の問題はその人の心根。性根がどれだけしっかりしちゅうかが一番の問題やき。九兵衛。おんしは信頼できる男や。わしの目に狂いはない。どうか、お福を大切にしちゃってくれ」


 真吉は九兵衛をいたく歓迎し、父親自ら深々と頭を下げて「娘を頼む」と言ったほどだ。おヨネもまた、口を出さずに「娘を宜しくお願いします」と頭を下げた。

 

 両親快諾の元、お福は九兵衛の元へ嫁ぐことがあっさりと決まり、二人は連れだって九兵衛の家があると言う須崎へ移り住むことになったのだった。

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