人懐こい犬神、虎太郎


 その後、話を聞くと虎太郎は犬神と呼ばれるあやかしだと言う事が分かった。生まれは徳島らしいのだけど、元々好奇心が旺盛な彼は一人放浪の旅を続けていて、行きついたのが東京だったらしい。


「こっちってさ、あっちでは見かけないようなものがいっぱいあって、面白そうだったんだよね」


 とやや興奮気味に語るほど、虎太郎にはここの環境が目新しくて強く興味が惹かれたのだと言う。

 確かに、いろんな物があるものね。所狭しと並ぶてっぺんが見えないほどの高いビル街に、ひしめき合う人々の数。洋服や化粧とかの流行りは大体東京発信だったりするし……。


 元々彼も着物を着ていたみたいだけど、今じゃすっかり現代の服を着こなしているありさまだ。


「洋服ってさ、着物と違って緩んだりしないし、マジ動きやすくていいよね!」


 なんて、今時な喋り方まで違和感なく取り込んでる。


 あやかしは古風な感じなものを好むんだとばかり思っていたけど、彼に至ってはそうでもないらしい。すんなり順応し過ぎと言うか……。

 そうそう。ピアスは別に穴を開けている訳じゃなくてマグネットピアスらしい。


 ……って言うか、それら一式どこで手に入れてきたんだろう……?


 私は目の前の不思議なあやかしを見つめて、ただただ首をひねるばかりだった。







 二時限目の講義を終えて学校を終わらせた私は、ひと駅隣の池尻大橋まで来ると、虎太郎と一緒に目黒川沿いの憩い場のベンチに座っていた。


 この辺りだけ花を植えたり綺麗に整えられているのよね。

 私たちがいるこの場所から、246号線の大通りを渡った反対側は春になると桜が川沿いに枝垂れていて咲く花見の名所の一つだ。提灯もぶら下げられたり露店も出たりして、江戸の言葉を使うなら「粋」な感じ。

 すぐ傍の目黒天空庭園から見下ろせば、その風情さは全体的に見えると思う。ただ、残念なことに目黒川の通り沿いにもマンションなんかの建物がひしめき合っていて、とても窮屈そうだけど。


 私は川の袂にあるコーヒーショップでアイスコーヒーを買って何食わぬ顔でベンチに座っているわけで。


 例によって、彼はあやかしだから私にしか見えていないみたいだし、本当は喫茶店に入りたかったんだけど、一人で会話をしていると完全に怪しい人だから迂闊に店には入れない。


 まだ残暑厳しいんだけど……。


 虎太郎は全然平気な顔をして尻尾振ってるし。ほんと、こうして見れば明らかに犬だわ。今じゃ絶滅危惧種に指定されてる純日本犬らしいけど……あえて言うなら柴犬っぽい。


 私はコーヒーを飲み、目の前を歩く人が通り過ぎていくのを待ってから虎太郎に声をかける。


「で? あなたは何で私のところに来たの?」

「だから、君がお願いしたんじゃん?」

「お願い? 別にお願いなんてしてないわ」


 そう。さっきも学校で言われたけれど、私お願いなんかしてない。だけど彼はきょとんとした顔をして、すっと私を指さしてきた。私、と言うよりも正確には私のポケット。


「え?」


 私は指を差された自分のポケットに手を入れると、先ほど眺めていた幸之助から貰ったお守りを取り出した。


「これ?」

「そうそう。それ。それ握って“一人でいたくない”ってお願いしたでしょ?」

「あ……」


 そう言えば、それは言った。言ったけど……。


「それって別にお願いって訳じゃ……」

「お願いでしょ?」


 ぐいっと間を詰めてそう問われ、私はその分体を後ろに引いて苦笑いを浮かべる。


 た、確かに、お願いと言えばお願いではあるけど……。


「でも、何で……?」

「それさ、“願い玉”って言うやつなんだよ。この辺じゃ手に入らない奴なんだけどね。願い玉に手を当てて強く願うと、近くにいる仲間が君を守護するようになってるんだけど……。まさか、こんなとこで真吉殿の末裔に会えると思わなかったよ」

「え……?」


 思わず顔を顰めた。

 真吉さん? 虎太郎は真吉さんと繋がりがあるの……?


「あれ? 本当に知らない?」

「あ、ううん。確かに私は真吉さんの血族だけど……知らないって何の事?」

「え~……噓でしょ~よ。幸之助、僕の事一言も君に言ってないんだぁ……」


 何の事を言っているのか本当に分からないから、私は眉間に皺を寄せて訊ね返せば、虎太郎はガックリと肩を落として心底落ち込んだ様子だった。


 えええ? 虎太郎は幸之助の事も知ってるの?


「……いや、でもあれか。知ってるって言ったって僕側が覚えてるだけで、幸之助はあの時小さかったからなぁ。覚えてもないのも当然か……。しかも当時は僕の家、特に決まってたわけでも無かったしなぁ」


 顔を俯けて頭を抱えたままぶつぶつと独り言を言っている虎太郎に、私はますます訳が分からず彼の様子を見ているしかなかった。だけど、彼は突然ガバッと顔を上げるとベンチの背もたれに背を預け、空を仰いだ。


「んじゃあとりあえず、まずは僕の事を話そうかな」


 そう言うと、虎太郎は後ろ頭に手を組んで空を見つめたまま語り始める。


「僕の生まれは阿波国あわのくに、今で言う徳島だって言う話はしたけど、僕は幸之助と同じく生まれた時から野良だったんだ。しばらくはお母と一緒にはいたんだけど、餌を求めて手近な家を渡り歩いていてさ。でも途中でお母が行き倒れちゃって。それで生きるために一人で餌を探すのに山に入って放浪してたら、途中で僕も倒れちゃってね。その時はお母と同じ運命を辿るんだなぁって漠然と思ってたんだ」


 過去を思い出しながらそう言う虎太郎に、私は真面目に聞き入っていた。


「そしたら、たまたま山菜を採りに山に入っていた真吉殿に会ったんだ。あの人は僕の姿を見つけた瞬間に急いで駆け付けてくれて、持ってきていた握り飯を全部食べさせてくれた。今まで食べてきたご飯の中で、あの握り飯が一番美味かったなぁ……」


 真吉さんの優しさがよく分かる。真吉さんは本当に人間だけじゃなく動物にも優しい人なんだよね。人助けには留まらず、動物の事も全力で守ろうと必死だったんだろうな。困っていたら見捨ててはおけない。そして決して捨て置かない。そう言う人だ。


 だから本当なら皆に慕われててもおかしくないのに、あの場所ではほとんどの人から嫌われていたんだよね……。何だか凄く、不憫で残念としか思えない。


「そうだったの……」

「真吉殿はご飯を食べさせた後、僕を背中に背負っていた山菜採り用の籠に入れて家に連れて行ってくれたんだ。その後も色々良くしてくれてさ。命拾いしたんだ。あ、ちなみに虎太郎って名前も真吉殿が付けてくれたんだよ。とにかく凄くあの人には感謝した。この人の為ならどんな事でもしようって、本気で思った。でも僕は元々野良だったし、一つの家に住むって習慣を持って無かったから、真吉殿の住む村の界隈で可愛がってもらってたんだ」


 虎太郎はそう言うと、頭の後ろに組んでいた手を解いてにっこり笑いながらこちらを振り返ってきた。

 この、特有の人懐っこさと好奇心の旺盛さは元々犬だったって言うのも頷ける。


「幸之助とはいつ知り合ったの?」

「僕があの辺の村のあっちこっちで世話をしてもらうようになってから数年後くらいかな。真吉殿の家に立ち寄った時にはもういた。こんなちっこくてさ、コロコロしてたよ」


 手の平でお握りを作るみたいにして小ささをアピールする虎太郎に、私は思わず笑ってしまった。

 その横をすぐ人が通り過ぎたから、慌てて取り繕ったけど……。


「僕は最初、鞠か何かの玩具だと思ったんだ。だから家に上がり込んで手でつついたら、転がった幸之助は毛を逆立てて怒ってたっけ」


 何だか凄く想像できる。

 きっと突かれる度にころころ転がっていたんだろうな。当時の幸之助は。


 私はその時の事を想像するとおかしくてクスクスと笑ってしまった。


「まぁ、そのくらい小さい頃に何回か会ったくらいだから、幸之助が僕を覚えてるはずがないのも仕方がないよね」

「あれ? じゃあもしかして、幸之助より年上?」

「うん。そうだよ。でも鞍馬よりは年下かな」

「鞍馬の事も知ってるの?」


 私がそう訊ねると、虎太郎は物凄く不機嫌そうに顔を顰めた。

 ふんぞり返って腕を組み、ぷりぷりと怒ったような口調で話始める。


「知ってるよ。あいつ、僕が真吉殿の家に行くとめちゃくちゃ嫌な顔するんだ。“あっちこっちで媚び売って歩く流浪者”とか何とか言ってさ。失礼だよね。それが僕の性分なんだってのに。だから僕が真吉殿に恩があって敬意を払ってるって言っても信じてくれなかった」

 

 へぇ。あの鞍馬がね。でも……彼なら確かに言いかねないかもしれないな。物凄く義理堅いところあるもの。


「まぁそれはともかく。こうして会えたのも何かの縁でしょ。よろしくね! え~っと……」

「加奈子よ。藤岡加奈子」

「加奈子! 君のお願いなら何でも聞くよ。だって、君は真吉殿の末裔だからね」


 そう言って手を出す虎太郎に、私も手を差し出した。

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