父と子


 心が凍りついていくような、言い表しがたい不快な感覚が身体を侵食して、直樹は重い瞼を開いた。


 目の前に広がったのは真っ白な世界。何度も何度も訪れた、見慣れた世界。両開きの窓がいくつも並ぶこの場所には、良い思い出などなにもありはしない。


 楽しい夢も、悲しい夢も、たくさんの夢の詰まった場所。それが本来あるべき姿だったはずだ。けれど、直樹の知るこの世界には、ただ一つ、悲しみ、虚無があるだけだ。

 色とりどりのカラフルな夢が怒れる獏に喰い尽くされ色を失っていくのを、直樹は何度も見てきた。夢に色を取り戻すために、獏が悪なのだと信じて戦ってきた。


 現実は残酷だった。全ての元凶は総管理局で、夢の世界に溢れていたのは街の人々の悲しみだけではなかった。獏も同じように傷付き、悲しんでいた。


「俺はなにを信じて戦ってきたんだ……」


 直樹はぽつりとこぼした自身の呟きにはっとした。ぼーっとしていた意識が鮮明になっていく。この白い世界で一人、直樹は立ち尽くしていた。意識を失う前の出来事を思い出そうと、頭を必死で働かせる。


「俺は……そうだ。夏芽が彩ちゃんを狙っていて、それで目が赤くなって、意識失って――」


「そう。少しお前の身体を夢の中に引っ張らせてもらったよ」


 気付けば、夏芽が目の前に迫ってきていた。彼女の赤い瞳からは感情というものが感じられない。心を固く閉ざしているようだった。


 直樹は驚いて咄嗟に後方へと飛びのいた。夏芽はそんな直樹を捕まえようとはせず、黙ってつまらなさそうに眺めている。


「これが枢木一族の……ヌシの力なのか?」


「どうせ、冬樹から聞いているのだろう? 冬樹を味方につけたようだが、今度はなにを使ったんだ? 心を操る機械でも造り出したのか? 神の真似事をしてまた間違いを犯すのか? お前達人間は」


 冷たい声。彼女の人間を蔑すんだ言葉に反論しようとしたが、冬樹の心の中で見た一連の出来事が脳裏に浮かんで出かかった言葉を飲み込んだ。


「唯一信じられる人間は秀樹先生だけ」


 ぽつりと呟いた夏芽の言葉を、直樹は聞き逃さなかった。父のことを彼女は確かに知っている。


 父は偉大な人だった。誰も信用していなかった直樹に、人を信じる強さを教えてくれた人。今でもはっきりと父の声を思い出すことができた。あの日の出会いのことも――。




「お前、つまらなさそうな目してるなぁ」


「みんな馬鹿ばっかだから。こんな世界、つまんないよ。ところでおっさん誰?」


 大門秀樹四十三歳。直樹十歳。二人が初めて交わした会話は、あまり明るい話題ではなかったかもしれない。これが、秀樹と直樹の最初の会話だった。




 直樹は、孤児だった。


 直樹の両親は、彼が五歳の頃に自殺した。富裕層からの多額の借金を残して。


 多くの貧困層が暮らすスラム街で放置されていた幼い直樹は、盗みを働き、残飯を漁りながらなんとか食い繋いでいた。時には盗んだ大人から酷い暴力も受けた。

 たまたまスラム街を通りかかった総管理局員に保護されたのは奇跡に近い。保護された直樹は総管理局管轄の孤児院に引き取られた。

 そのおかげで安全な暮らしは約束されたが、だからといって抱えた借金が消えるわけでもない。生まれた時から枷を背負い、愛情も注いでもらえない幼い子供は泣き方も笑い方も知らず、日々に希望も持たずにただなんとなく生きていた。

 そんな中、大門秀樹は直樹の前に現れた。


 その日は、孤児院全体がお祭りムードだった。アンドロイド研究の第一人者が来るとかで「アンドロイドをたくさん見られる」と、子供達も大はしゃぎだった。この頃はアンドロイドやAIシステムが一気に普及し、高度科学成長期などと呼ばれていた。みんな新しいアンドロイドが登場するのを心待ちにしている時代だった。


 そんな楽しげな空気が充満する中でも直樹はその騒ぎに加わることもせず、ただ自作のロボットの組み立てに勤しんでいた。世の中の全てがつまらなかったが、ロボットを組み立てている時間だけは結構好きだった。


「お前、つまらなさそうな目してるなぁ」


 突然声をかけてきたのは直樹が見たことのない男。白衣を着ていて、口元には無精ひげ。なんだかちゃらちゃらとしていて、軽そうに見える男だった。

 お祭り気分の馬鹿な大人に話しかけられたくないから、わざわざこんな隅で組み立てているのにめんどくさいな。それが直樹が一番最初に感じた気持ちだ。


「みんな馬鹿ばっかだから。こんな世界、つまんないよ。ところでおっさん誰?」


「あぁーお前からしたら、もう俺はおじさんかぁー。まだまだいけると思ってるんだけどなぁ」


 大袈裟に頭をがっくりと下げてぼやく男。直樹はちらっと男の顔を見ただけで、ロボットを組み立てる手は止めない。


「そういうのいいから。別に子ども扱いしなくていいよ。なんか用があったんでしょ。早く言いなよ」


 直樹がそう冷たく言い放つと、男は「こりゃ参ったな」と頭を掻いた。偏屈な子供に取り入るのは無理だと観念したのか、男は直樹が組み立てているロボットを真っ直ぐ指差した。


「それお前が造ったのか? ここじゃこんなに部品は買ってもらえないだろうに、よくできてるじゃないか。誰かにもらったのか?」


 男の言葉で直樹は作業の手を止めた。初めて男と直樹の目線がぶつかる。


「あんたみたいな金持ちには分かんないかもしれないけど、総管理局はちっともテレビに流しゃしないけど、住宅区にはでかいスラム街があるんだよ。そこには富裕層の奴らが使い捨てにしたアンドロイドの残骸が山ほどあるから、部品には困らないし」


 淡々と話す直樹の言葉を黙って聞いていた男が言った言葉は、予想外なものだった。


「また会いにくる」


 直樹の皮肉を否定するわけでも、肯定するわけでもない。ただ一言そう言って、直樹の頭をがしがしと掻いた。長めの黒髪をぐしゃぐしゃにされながらも、そんなに嫌だとは思わなかった。


「俺の名前は大門秀樹だいもんひできだ。お前の名前は?」


「……直樹。大橋直樹おおはしなおき


 小さな声で答えた直樹を見て、秀樹は歯を見せて笑った。


「よろしくな。直樹」


 秀樹はとても優しい目をしていた。




「直樹。俺と一緒に暮らさないか」


 そんなことを秀樹から聞かされたのは、出会いから半年が経った頃だった。


「なんで? それって俺にメリットあるの?」


 秀樹は週に一度のペースで直樹に会いに来ていた。その度に新しい部品やプログラムに必要なコンピューターや資料をたくさん持ってきてくれていた。

 確かに感謝はしていたが、わざわざ一緒に暮らす理由が直樹には分からなかった。秀樹と自分は他人なのだから、と。

 だから、秀樹の提案は直樹にとって想像すらしていなかったことだった。


「俺の息子にならないか?」


 ――家族。そんなものが自分に? いや、ありえないだろ。またどうせ、俺の能力を利用したいだけだろ。


「赤の他人なんか息子にしてどうするんだよ。くだらない。そういう冗談いいから」


 そっぽを向いて、秀樹の持ってきたコンピューターの画面に向き合う。秀樹が少し悲しそうな表情を浮かべたのを、気付かないふりをする。


「ここにいるより俺と暮らした方が直樹の才能も伸ばせる。ここに持ってこれるものは制限もあるしな。それになにより直樹は――」


 秀樹の言葉は直樹には自分の能力を利用したいだけの、大人のただの言い訳に聞こえた。強く歯を食いしばって、小型のコンピューターを思い切り床に投げつけた。

 基盤や画面が激しい音を立てて辺りに飛び散った。


「なんの音なの!? 直樹、なにしてるの!」


 突然響いた激しい音に、別の部屋にいる院長が金切り声を上げた。

 秀樹が自分を責める前に、院長にヒステリックな言葉をかけられる前に、直樹は孤児院を飛び出した。


 どこに行くかなんてなにも決めず、ただただ走り続けた。直樹の足は知らず知らずのうちに、生まれ故郷でもあるスラム街へと向かっていた。


「おっさんになんのメリットがあるんだよ……。俺を利用したいだけだろ」


 ジーンズのポケットに手を突っ込んで、自身のスニーカーを見つめがらあてもなく歩く。辺りはすっかり暗くなっていた。


 直樹が秀樹を素直に信用できないのには、理由わけがあった。


「どうせまた、心を許したらさよならに決まってる」


 秀樹の言葉で嫌な思い出が呼び起こされて、彼を拒絶してしまったのだ。秀樹のことが嫌いなわけじゃないのに。



「おやおや、こんなところでガキがなんのようだ? よい子は帰ってねんねの時間だろう?」


 貧困層の暮らすスラム街。けれど、それだけじゃない。人をいたぶったり、持ち物を盗んだり、どうしようもない連中の溜まり場でもある。十歳の幼い少年が一人で歩いていい場所ではなかった。


「ガキじゃねぇよ。お前らみたいな馬鹿にガキ呼ばわりされる筋合いもねぇ」


 卑しい笑みを浮かべた頭の悪そうな丸坊主の男が絡んできたことが腹立たしくて、思わず生意気な口を叩いてしまった直樹。ふと冷静になって「しまった」

 と思った時には、男の口元から笑みは消えていた。


「生意気なガキがいっぱしな口叩くじゃねぇか!」




 夜のスラム街は冷えることを直樹はよく知っている。気温が低いからとか、それだけじゃないことも。

 スラム街の子供はみな一人だ。直樹のようにスラムで生まれ、孤児院に保護される子供なんて特殊で数えるほどだ。

 親を盗賊に殺された子供。病気で亡くした子供。親に捨てられた子供。この街に温もりなどない。そんなこと知っているのに。なぜか、直樹の足はここに向かった。


 無慈悲な、理不尽な暴力を受け激しい痛みが身体を支配する。直樹は死を覚悟していた。


「さっきまでの威勢はどうしたんだ? もう死んじまうか? なぁ!」


 男の振り上げた拳が霞んだ視界に映りこんだ。直樹はそっと目を閉じる。


 ――くだらない人生だなぁ。生まれた意味も分からず死んでく負け犬か。


 そんなことをまるで他人事のように頭の中で呟いた直樹を次に襲ってきたのは、痛みでも、罵声でもなく、元気で明るい少女の声だった。


「こんな小さな子供を殴るだなんて、ほんとにおじさん大人なんですかー? すっごくかっこ悪いです!」


 はっとして目を開くと、月明かりに照らされた一人の少女が片手で男の腕を掴んでいた。


 金色の髪を後ろに束ねた少女は十六歳ほどに見える。掴まれた男の腕からぎりぎりと骨の軋むような音がして、「いてて、いてぇ! 離せ! この!」と男は叫びながらなんとか逃れようともがいているものの、少女は笑顔を崩さずびくともしなかった。


 華奢な身体のこの少女の力は、見た目に似合わず相当強いようだった。


「もうー暴れないでくださいよぉ。そんなに暴れる悪いおじさんには、こんなものをプレゼントしちゃいます!」


 そう言って少女は男の鳩尾みぞおちに真っ直ぐ拳をめり込ませた。びりっと電気が流れたような音が聞こえて、男は小さく呻きながら地面へと倒れこんだ。

 突然の謎の少女の登場に、呆然としていた直樹が少女に話しかけようと口を開きかけた時、聞き慣れた声が、暖かい声が耳の奥に染み渡った。


「そいつは俺が造ってるアンドロイドの第一号だよ。カレンって言うんだ」


 カレンと呼ばれた少女はアンドロイドだった。それも、秀樹の造った。


 直樹の周りを取り囲むように二人は膝をついた。優しい表情を浮かべるカレンと秀樹。顔が熱くなっていくのを直樹は感じていた。


「みんなでうちに帰ろう。直樹」


 涙が、傷付き、世界を嫌った少年の頬に初めて筋を作った。


 ただの直樹が、“大門直樹だいもんなおき”になった瞬間だった。優しさを知った瞬間だった。


 獏が初めて人々の夢の中に現れたのもこの頃だ。そして、幸せは長くは続かないということを、直樹は八年後知ることとなる。


 秀樹の死は事故だった。不慮の事故。

 いつものように一人の夢を救って、帰路についた。その道の途中にある巨大な鉄橋てっきょうから、海へと突っ込んだのだという。過労からくる居眠り運転だと医者に言われた。秀樹が疲れていたのは事実であったため、誰も疑問は抱かなかった。当時十八歳であった直樹以外は。


 ――父さんのなにを知ってるんだ。父さんは……事故で死ぬような人じゃない。


 ずっと思ってきた、抱いてきた疑問が、冬樹から聞かされた話でさらに深まった。そして、夏芽の言葉で疑問が確信に変わった。秀樹は――、


「そうだよ。秀樹先生は殺されたんだ」


 夏芽の震えた声が聞こえて、直樹は現実に引き戻される。

 少しの沈黙。ずっとつまらなさそうだった夏芽の瞳が、強い怒りと憎しみでゆらゆらと揺れた。



「殺された私たち一族の秘密を知ってしまった先生を、ばらされることを恐れた、総管理局のクズどもに」



 直樹の心に、黒く淀んだ感情が溢れ出した。

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