最終章 それぞれの戦い

囚われの赤き瞳


 枢木一族最後の生き残りである夏芽を救うため、直樹、カレンの二人は獏のフゥリンと、夏芽の弟である冬樹という光の玉に案内されるまま、枢木一族の朽ちた森の中をひたすら歩き続けていた。

 歩き続けてから一時間は経過している。最初は歩きながら冬樹やカレンと談笑していた直樹だったが、時間が経つほどに徐々に口数が少なくなり、三十分ほど前からすっかり無言を決め込んでいた。

 眉間にしわを寄せ、額に浮かぶ大粒の汗を拭いながら、直樹は乾いた口から苦情にも近い言葉を漏らした。


「まさか道間違えてるなんてことないよなぁ。景色変わりもしないぞ。あぁ、疲れた」


「そんなこと言う元気があるなら大丈夫ですね」

(十分元気じゃないか)


 大きな溜息と共に吐き出した直樹の駄々に、隣を歩くカレンの鋭い指摘が飛んできたかと思えば、すかさず冬樹の援護射撃が放たれる。さすがの直樹も二人から正論を言われるとなにも返す言葉がない。


「……お前ら仲良くなりすぎだろ。はぁ……」


 ぼそりと呟いてまた溜息をついた時、先頭を歩くフゥリンが歩みを止めた。


 ツイタ! ココ! ココニナツメ、イル!


 不器用な言葉で嬉しそうに声を上げて突然走り出し、目の前の木々の間に飛び込んで消えた。


「おいおい! そんな走るなよ。こちとら足がぱんぱんなんだから……」


 人間の子供のようにはしゃぐフゥリンを窘めながら、直樹は彼が飛び込んでいった木々の間に何とか身体を捻じ込む。枝や木の葉に阻まれ苦戦していると、後ろから付いてきていたカレンがバキバキと激しい音を立てながら、先陣を切って道を作ってくれた。


「おぉ、助かった。さすがだな」


 道を切り開いたその逞しい背中に礼を言うと、嬉しそうに「ふふん」と鼻を鳴らした。


(ここだよ。ここが佐久間の研究施設)


 木々の間を抜けた先は、急に視界がひらけて月明かりが差し込んでいた。奥に進むにつれて木々が空を覆い尽くしていたため、冬樹が放つ淡い光だけを頼りにしていた直樹は、久々に見る月明かりに感謝したい気分だった。


「ここが……佐久間の研究施設……ってそんなものどこにあるんだ?」


 目の前に広がるのはひらけた敷地だけで、なにもそれらしい建物は見当たらなかった。


「確かになんにもないですねぇ……あっ! フゥリンがあそこでなにやら地面の匂いを嗅いでますよ」


 辺りを見回していた直樹は、カレンの言葉で彼女が指差す方に目を向けた。二人から1mほど離れた場所で、フゥリンが執拗に地面の匂いを嗅いでいる。なにかあるのかもしれないとそばに行き、直樹は声をかけた。


「そこになにかあるのか?」


 フゥリンの隣に立ってみる。瞬間、周囲の地面が淡い光の正方形に縁どられ、地面が低い獣の唸り声のようなものを森中に響かせながら鳴動した。フゥリンは足元の音と光に驚いたのか、慌てて光の正方形の枠から飛び出す。直樹も彼に見習い、枠外へと移動した。光と音はさらに強く、激しくなっていく。


(やっぱり、ここは人にしか反応しないんだね。一度姉ちゃんの匂いを辿ってフゥリンと一緒にここまでは来たんだけど、入り口をどうしても見つけられなかったんだ)


 冬樹が喋り終わる頃には地面の振動も音も収まり、森の中には静寂が戻ってきていた。目の前にはさっきまで草が生い茂る地面だった場所に、無機質な鉄の床が現れている。これなら開きそうだな。と直樹は思った。


「これ、地下室かなんかに繋がってんじゃないか?」


 言いながら直樹は、右手の人差し指にはめられた指輪の側面を押した。あっという間に指輪はスティック型の機器へと姿を変える。機器の真ん中のスイッチを押すと、鉄の床が青く光りだし、またしても静寂を破り鳴動する。鉄の床の中心に一本の線が現れたかと思えば、徐々にその線は左右に開いていき、一分もしないうちにぽっかりと大きな口を開けた。

 薄暗い森の中に現れたその大きな口の向こう側には、直樹達を誘うように地下に繋がる階段が続いている。


(うわぁ! すごいねそれ。どこで手に入れたの? ここ、初めて来たんだよね?)


 なんなく入り口を開けてみせた直樹の持つ機器に、冬樹はひどく感心したようで、くるくると直樹の周りを回りながら質問を投げかけた。


「いや、これは俺が造ったんだよ。ほぼ全ての機器の操作とロックの解除ができる。もちろん世間には公表してない発明だけどな……て、あれ?」


「どうしたんですか? ご主人?」


 突然首を傾げて考え込みだした直樹を不思議そうに覗き込んだのはカレンだ。

 マスターキーは門外不出の発明だ。そう自分で言っているうちに、直樹の中で一つ気付いたことがあった。


「このマスターキー、発明するのに十年くらいかかったんだよ。その上、この発明は父さんが諦めた発明でもあるんだが……」


「それがどうしたんですか? まさかただの自慢じゃないですよねぇ」


 にやにやしながらカレンが茶々を入れる。


「そうじゃねぇよ! ほら、西川さんが言ってただろ。佐久間っていう科学者が本部のシステムをハッキングしたって。総管理局の管理システムは何重にもセキュリティが張り巡らされてて、ハッキングするのは決して簡単じゃない。それこそ、このマスターキーみたいなものがないと無理だ。てことはだ。佐久間は父さんよりも優秀で、俺よりはるかに格上な可能性が高い」


 直樹の話を大人しく聞いていたカレンは、いつになく難しそうな顔をして


「なるほど……つまり、ここに私達が来るのも佐久間は想定済みで、この階段の先にどんなトラップが仕掛けられててもおかしくないってことですね」


 腕組みをしながらそう言った。直樹もその意見に同意し、冬樹やフゥリンに目をやり強く頷いた。


「あぁ。慎重に行こう」


 直樹の一言で一行は、慎重に地下へと続く階段を降り始めた――。





 ****



 蝋燭の火だけで照らされた地下へと繋がる薄暗い階段は、下に降りていくほどに肌寒くなってきていた。一人通るのがやっとなほどに狭く、どこまでも続いてるかのように錯覚してしまう。


「なんか寒くないか? こんなところにほんとにお前の姉ちゃんはいるのかよ」


 黒の薄手のシャツに薄い白衣しか羽織っていない直樹は、暖めるように腕を擦りながら、隣をふわふわと浮かんでいる冬樹に尋ねた。


(ここで間違いないよ。だって、夏芽姉ちゃんの心を感じるもの。でも、なんか昔と感じが違うんだ。もしかしたら、怪我とかしてるのかも。急がなきゃ!)


 そう言って冬樹は速度を上げ、下に向かって飛び出した。


「おい! そんなに慌てたら危ないぞ!」


 直樹の忠告も虚しく、階下からなにかが固いものにぶつかるような、よからぬ音が狭いこの空間に響き渡った。

 フゥリンを先頭に慌てて階段を降りていくと、階段の終わりが見え鉄の扉が姿を現した。そのすぐそばで転がっていたのは、光が少し弱まった冬樹だった。


「……大丈夫……じゃないよな」


 直樹は安否を確認するために声をかけた。すると、ふらふらとしながら冬樹は浮かび上がり、また光を強くしながら答えた。


(いてて……。なんとか大丈夫。びっくりしただけだよ)


 表情などは分からないが、とても痛そうな声で話す冬樹。けれど、直樹の頭の中は一つの思考で埋め尽くされていた。


 光の玉って壁にぶつかるのか。


 どういう原理なのだろうか。そんな科学者としての探求心が沸き起こり、冬樹に話しかけようとした時、なかなか扉を開けようとしない主人にカレンが痺れを切らして鉄の扉を押し開けた。扉は重い金属音を響かせながらゆっくりと開いていく。


 扉の向こう側は階段よりも少しだけ明るかった。まず一番に目に飛び込んできたのは、謎の液体が入った筒形の水槽だ。中には何も入ってはいないが、淡い青白い光に照らされて不気味な雰囲気を漂わせていた。


「なんだこれ……」


 部屋に足を踏み入れ全体を見回した直樹は、その狂気じみた光景に思わず声を漏らした。

 謎の液体が入った筒形の水槽。その水槽と全く同じものが横一列にずらりと並んでいる。けれど、直樹が異常だと思った理由はそこではなかった。なにも入っていない水槽の他に、液体の中になにかの“生き物”が浮かんでいるのだ。それも一つだけではない。無数に並んだ水槽の中には何十体もの生き物が液体漬けになっていた。そしてその生き物は――、


 フゥリンノナカマ! ゼンブ、アイツガヤッタ!


(ここに入れられてるの、全部獏だよ。しかも、まだ小さい。もしかしてこれって……)


「クローン、ですね。恐らく佐久間は、夏芽さんの力を利用して自身の命令に忠実な獏の個体を作り上げたのでしょう。街で暴れていたのも恐らく」


 カレンがいつになく真剣に放ったその言葉は、直樹の胸にどっしりと押しかかってくる。こんなことが許されていいはずがない。そんなことも知らず、呑気に獏は悪なのだと思い込んでいた自分が情けなくて悔しかった。


「こんなところで落ち込んでる暇なんてないんじゃないですか?」


 鋭い指摘にはっとなり我に返った直樹は、真剣な顔をしてこちらを見つめているカレンと目が合った。カレンの言っていることはもっともな正論だ。前にも、同じようなことを言われた気がした。


「そうだな。夏芽を探そう」


(あ! あっちから姉ちゃんの心を感じる!)


 水槽の淡い光だけで照らされたこの薄暗い部屋は、広い廊下のような作りをしている。水槽が立ち並んだ先。冬樹が「夏芽の心を感じる」と飛び出していった方向に目をやると、オート式の扉が見えた。


(お兄ちゃん、ここ開けて! ここに夏芽姉ちゃんがいる!)


 直樹は冬樹に言われた通りマスターキーを扉に向けて、ロックを解除した。微かな機械音を響かせながら、扉は左右に開いた。


(夏芽姉ちゃん!)


 巨大なPCモニター。大小様々な機械がひしめき合った部屋の真ん中に、冷たい鉄の椅子に両手足を縛りつけられた髪の長い女性が、がっくりとうなだれている。彼女が枢木一族最後の一人、枢木夏芽その人らしい。


「とりあえず、この鎖を外してやらないと。カレン」


 カレンは頷いて腕を剣に変形させる。剣は徐々に赤くなり始め、熱を帯びていく。高熱を帯びた剣は、夏芽の手首を拘束している頑丈な鉄の鎖を簡単に焼き切り、分断された鎖は重い音を響かせて床へと落ちた。


(姉ちゃん、大丈夫? 姉ちゃん)


「ちゃんと息はしていますし、心臓の鼓動も正常ですよ。眠ってるだけかと」


 心配そうに夏芽の名前を呼ぶ冬樹を安心させようとしたのか、彼女の胸に手を当てたカレンは落ち着いた声で言った。その時だった。


 うなだれていた夏芽が勢いよく顔を上げ、目を大きく見開いた。しばらく日に当たっていなさそうな、不気味なほどに白く透き通った肌。整った顔立ちの美しい夏芽の大きく見開かれた目は、血のように真っ赤に染まっていた。


「……っ! ご主人! 離れてください!」


 カレンがそう叫んだのは、夏芽が直樹に向かって飛びかかってきたからだった。カレンのことなど視界に入っていないようだ。その瞳は直樹だけを捉えている。

 カレンが忠告したものの、直樹は突然のことに反応が遅れ、後ろに後退した時には時すでに遅く、夏芽はカレンの腕をすり抜けてすぐ目前まで迫ってきていた。人間とは思えない速度だ。手にはいつの間にか細身のナイフが握られていて、その冷たい銀色の切っ先が直樹の喉元を捉えそうになった時、カレンの怒号が響いた。


「ご主人から離れろ!」


 普段言わないような荒々しい言葉を叫びながら、夏芽を超える速度で直樹の身体を突き飛ばした。鉄と鉄がぶつかり合う鈍い金属音が鼓膜を刺激したのは、突き飛ばされたのとほぼ同時だった。


「どういうことですか! 夏芽さんがここまで危険な人物だなんて聞いてません!」


 カレンと夏芽が睨み合い、場に緊張が走る。冬樹はなんとか姉を落ち着かせようと必死に訴えかける。


(姉ちゃん、落ち着いて! この人達は敵じゃない。姉ちゃんを助けに来たんだ! 怪我をしていたフゥリンにも優しくしてくれたんだよ!)


 ナオキ、イイヤツ! ナツメ、ミカタ!


「冬樹、フゥリン!? どうして人間側の味方をしているの……? なにもかも……あいつらのせいだ……」


 冬樹の言葉もフゥリンの叫びも、怒りに支配された夏芽には届かない。両手で頭を抱え込み、髪を揺らしながら左右に何度も首を振っている。


「信用できないよな。許してくれなんて、俺達は言える立場じゃない。けど、今俺達は君の力になりたいんだよ。ここから出るまででいいから、付いてきてほしい」


 カレンに突き飛ばされ尻もちをついていた直樹は、なんとか体制を立て直し、頭を抱え込んでいる夏芽に優しく声をかける。けれど、その言葉が彼女の気を逆撫でしたようだった。鋭く光った赤い瞳で直樹をキッと睨みつける。


「その言葉は二年前も聞いた! でも風花は約束を守らなかった。ヌシ様は二年経ったにも関わらず、帰ってはこない。そして、佐久間という科学者がまたヌシ様の力を狙っている。もう、人間の文明は全て壊さないといけない」


 また風花の名だ。お前がいったい、あいつのなにを知ってるんだよ。


「風花が約束を守らなかったってどういうことだよ。風花のなにを知ってる? 冬樹もなにか知ってるんだろ!? いい加減話せよ!」



「風花は今も生きてるんだよ。直樹」


 背後から扉が開く機械音と共に、聞き慣れた声がこの暗い室内に響いた。

 後ろを振り返る。立っていたのは、こんな陰気な場所など似合わない人物だった。


「隼人さん? どうして……」

「……隼人? なんでお前がここに……って彩ちゃん!」


 扉の前に立っていたのは街にいるはずの隼人で、腕に抱えられているのは彼の妹である彩だった。隼人の腕の中で何も答えない彩は、怪我はなくただ眠っているようだ。

 立ち尽くす隼人に直樹とカレンが駆け寄ろうとしたその時、夏芽が二人の間を凄まじい速さで通り抜けた。


「彩には手は出さないって、佐久間がっ!」


 いつの間にか目前に迫ってきていた夏芽に狼狽し、声を張り上げる隼人。


「お前は必要ない。ヌシ様は返してもらう。その娘を地面に下ろせ」


 夏芽がそう冷たく言い放つと、隼人の表情は虚ろになり、彼の橙色の瞳が真っ赤に染まった。隼人は先程の態度と打って変わり、夏芽の言う通りに彩を冷たい床へと下ろした。


「隼人になにしたんだ」


 すぐにでも駆け寄りたい衝動を、直樹は必死に抑える。夏芽はあまりにも未知数な存在だ。迂闊には近付けなかった。しかし――、


「そんなに気になるならお前にも教えてやる。風花のことも秀樹先生がなぜ死んだのかも」


 振り向きながらそう直樹に語りかけた夏芽の瞳は、さらに血のように赤く染まっていた。


「ご主人! 目を見ては駄目です!」

(姉ちゃん! 駄目だ! こんなことしても誰も幸せになれないよ!)

 ナツメ! ヌシサマ、ノゾンデナイ!


 皆の言葉は、夏芽、直樹の耳には届いてはいなかった。直樹はただ、夏芽の言葉だけが脳内を駆け巡っていた。


 父さんが死んだ理由? でも父さんは――。


 真っ赤に染まった瞳に吸い込まれるように、直樹の意識は徐々に薄れていった。


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